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豚汁模型!

鉄道模型のごった煮をゆるくほそぼそ楽しむブログ

2024'04.30.Tue
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2015'11.21.Sat
前回の続きからはじめます。
 横瀬には電機機関車以外にも保存されている車両があるので、そちらの紹介から。

 製造時期を物語る湘南マスクの351系です。現在は旧番号のレタリングを入れて保存されていますが、こちらのほうが馴染みがありますので、今回の記事ではこの名前を使います。
 戦時中に大量に焼け出された木造国電を買いあさった西武は、その国電のパーツを使って独自の通勤電車を次々と生み出します。当時の西武は増え続ける沿線人口に対応するため異常な勢いで電車を作り続けており、この351系もその流れの中で生まれた車両です。
 前面こそ最新鋭のデザインである湘南マスクを採用していますが、焼け落ちた国電骨組みを再利用した17m3扉の車体であることや、機器類は全く国鉄時代のままである点など、随所に国鉄の趣を残しています。
  1954年製のこの電車、廃車は1990年です。当時、多摩湖線の国分寺駅が20m車の入線ができなかったために遅くまで残っていたものですが、3連の中間につないでいたサハは何と国鉄から譲り受けた戦前製のものをほぼそのまま使っていたというのだから驚きです。


 お馴染み、レッドアローですね。あまり関係ないですが、KATOのレッドアロー、悩みました(^^;
 ヘッドマークの付かないオリジナルの姿で保存されています。富山地鉄に行った仲間は、ヘッドマークを付けた状態のまま活躍していますね。


 いつの間にやってきたのか、101系もいます。西武というと、私はやはりこの顔ですね。
 101系自体は支線でまだ活躍していますが、そちらはN101系と呼ばれる後期型で、701系などと同じ顔のこちらの前期型は全て廃車されてしまいました。


 西武の3000系というと、西武ファン以外にはあまり馴染みのない形式と思いますが、それもそのはず、400両以上が製造された2000系に比べると、2000系の製造数は90両弱であり、マイナーな形式でした。
 ここに何故保存されているのかといえば、松本零士氏の描いた銀河鉄道999のラッピングが施されているからでしょう。ですが、著作権には使用期限があり、それを過ぎると企業は著作を使用できないことになっています。ということは、3000系がここに居られるのもあとわずかしかないのでは? とも思います。


 日本の大手私鉄でディーゼル機を保有していた例はあまりないと思います。その中で西武は多くの専用線を抱えていたこともあって、多数のディーゼル機関車を保有していたのですが、このD16はブリジストンの工場で働いていた車両で、工場閉鎖後はこの横瀬で入替用として働いていました。
 現在も動くことができるようで、イベント時の入替にはこの車が使われているようです。スイッチャーの世界はあまり詳しくないのですが、日本車両で作られたこのタイプの車両は日本全国
いたるところで見ることができました。しかし近年急速に数を減らしており、貴重なものとなってくるやもしれません。


 西武は貨物輸送も手広くやっていたことは何度もお話していますが、その名残である貨車も保存してあります。手前が緩急車のワフ105、奥が鉄製有蓋車のスム201です。ワフはKATOから最近発売されましたね。
 にしても保存車に乗っちゃって大丈夫なんですかね。いや、立ち入り禁止のロープやテープは巻かれていないのでいいんでしょうが、来場者のモラルとかそういう話以前の問題として、研修庫が雪で崩れた今、西武鉄道は保存車をこのままにしておいていいんでしょうか。考えさせられます。


 最後に、シートにかけられたこの車を紹介します。動輪の形からして蒸気機関車であることはわかりますが、このようなイベントにも関わらず公開されないというのもおかしな話です。
 この機関車、作られたのは何と1887(明治20)年というから驚きです。当時の日本では蒸気機関車の製造技術はありませんでしたから、製造はイギリスのナスミスウィルソンです。元は日本鉄道で働いており、作業局A8という形式でした。そこから西武に払い下げられて4号機関車となったものです。
 これだけ古いものですから、この時代の機関車で現存機というとほぼ皆無で、博物館等であるなら目玉として展示されてもよいくらいの貴重な機関車なのですが、西武は電気機関車にしか興味がないらしく、10年以上前から放置されたままになっています。
 若葉台の車庫に保存車を保管してあった京王は、少し前に展示施設を作って一般公開を始めました。横瀬にある保存車も、舶来の電気機関車が完璧な状態で多数保管してあるという点でかなり貴重ですし、保谷にある2両の保存車も含めて、常設展示できる施設を西武所沢工場の跡地(2000年に閉鎖されましたが未だに手つかずで残っています)あたりに作ってほしいですね。その折には、この機関車も整備してくれるのではないか、と思ってもいます。

 というわけで横瀬のイベントでの保存車はすべて紹介いたしました。
 この後時間があったので、秩父鉄道の三峰口まで行ってきましたが、その詳細はまた後日ということで。
 それではまた(^^)ノ

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2015'11.10.Tue
前回に貨車をちょっくら、なんて話していましたが、鉄は熱いうちにということで秩父に行ってきた記録を忘れないうちに書いておこうと思います。西武秩父線の横瀬まで、西武鉄道の電気機関車を見に行ってまいりました。
 そもそも横瀬などという西武秩父一歩手前の大変辺鄙な場所になぜ保存するだけの施設があるといえば、貨物を取り扱っていた時代に貨車と機関車の検査場が横瀬にあった名残なんですね。

 今回、往路は池袋からレッドアローで快適な旅だったんですが、西武秩父線ってものすごい登るんですね。西武鉄道にはてんで縁がなく、初めての秩父線だったんですが、あんなところを大正生まれの古豪が登り下りしていたと思うと、いやはや凄まじいというか何というか。
 そんなこんなで前置きはこれくらいにして、以前から会いたかったその大正生まれの古豪たちを紹介したいと思います。


 E43、大正15年製、英国イングリッシュ・エレクトリック社製造のエリートです。
 元をたどると、現在の青梅線の前身にあたる青梅鉄道が発注した機関車で、その後の国鉄買収によって国鉄所属になりましたが、EF53やEF56などの重量級が多数活躍していた国鉄で使うにはどうにも小さく、戦後すぐに西武鉄道に譲渡されます。
 西武では使いやすかったのか、昭和末まで使われ、保存されたのが本機です。僚機のE44も西武廃車後に国鉄の手にわたって新鶴見で保管されたのですが、しばらく音沙汰がなく心配しておりました。幸いにして未だに車庫の奥で眠っているようで、ひとまず安心しています。
 この機関車は青梅電鉄のほかにも、近鉄や東武、秩父鉄道などにも納入されており、いずれは模型でほしい機関車です。他の機関車よりも多めに写真を撮って、今後作る際の参考にしようと思います。・・・・・・うーん、金属キットですか(^^;


 E61、大正13年、こちらも名門、米国ゼネラルエレクトリック社製です。
 私鉄が発注したE43に対して、こちらは国鉄が発注した機関車です。国鉄が国産電気機関車の開発を行っていた時期にサンプル目的で購入した車両で、E43と同じくその小ささのために早期に西武に売り払われましたが、こちらも長い間活躍しました。


 E71、大正15年、さらに米国ウエスチングハウス社製です。
 この機関車だけは茶色塗装ですが、国鉄時代のED10の仕様に復元されています。なかなかローズレッドの西武塗装も似合っていたのですが、茶色のこの塗装もなかなか似合っています。
 このあと紹介するE851が登場するとE71は予備車になり、あまり動かないまま昭和末期に廃車になるのですが、こうやってきちんと保存されていることで平成の世でも出会えるわけで、ありがたいものです。
 E61もアメリカ製ですが、E61よりもアメリカらしい武骨な機関車で、なかなか好きな機関車です。

 
 E51、大正12年、なんとスイスは名門ブラウンボベリ社製というサラブレットです。
 イングリッシュエレクトリックやウエスチングハウスは日本でも馴染みのあるメーカーですが、ブラウンボベリという名前は日本ではあまり聞かないメーカーだと思います。このブラウンボベリ、ヨーロッパではたいそう名の知れたメーカーで、1890年設立で、なおかつ現在も鉄道車両を作り続けているメーカーです。
 なぜそんな大メーカーの車両が日本で普及しなかったかというと、時計で有名なスイスらしく精巧な作りで、きちんと使えれば非常に優秀な機関車を作っていたのですが、当時の日本には精巧なスイスの機械を整備できるだけの技術がなかったのです。その結果、丈夫なアメリカやイギリスの製品ばかりが日本で広がり、精巧な技術を持つヨーロッパのメーカーは日本では普及しなかったのです。
 このE51はそんなスイスの機関車の中でも、日本で働き続けた稀有な例で、もちろん保存機としては唯一の存在です。スイス製の機器類はさすがの西武でも使いづらかったらしく、後年国産品に交換されていますが、派手な改造を行わずに活躍させ続けたのは、オリジナルへのリスペクトなのではないかと勝手に思っています。


 ヘッドマークも凛々しいE851です。12系を牽引して最後の花道を飾った際のヘッドマークですね。
 EF60と同等の性能を持ち、私鉄最強をほしいままにするこの機関車も、華々しい活躍は製造後十数年といったところでしょうか。ぜひとも定期列車で客車を牽いてほしかったです。
 NゲージではロングセラーのKATOとマイクロエースからも製品化されましたね。貨車セットは非常に魅力的で、買うかどうか最後まで迷った記憶があります。結果的にはKATOの101やマイクロの701あたりを買うきっかけにならなくてよかったというところでしょうか。


 あまり興味もないのか、子どもが写っている写真で恐縮です。E31ですね。
 この機関車、E851を短くしたような、このサイズとしてはなかなかかっこいい外見の車両ですが、面白いのはその中身です。台車は80系の廃車発生品DT20A、電動機は351系の発生品、つまりは国鉄でいうところの17メートル国電用MT4、ほかにも電車用の古い部品をたんまり積んだキメラのような車両です。その上製造は西武所沢工場ですから、寄せ集めの部品の集大成なのも頷けようというものです。
 中身はなかなか面白い車両ですが、外見はというと、E851のインパクトが強すぎていまいちパッとしないというか、何というか。

 長くなりそうなので、とりあえずこの辺りで一旦切ります。見てきた車両はまだありますので、こちらも近いうちにお目にかけようと思います。
 それではまた(^^)ノ

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2015'11.06.Fri
職場で新しい部署に配置換えになり、いろいろやっているうちに一か月が過ぎてしまいました。
 というわけで前回の続きというか、休止期間中に買ったものというか、忙しかった間のストレスのはけ口というか、そんなところです。

 さてこちらにおわすは東武ED5080です。前回のED5060は重連用の機器類は積んでいない車がプロトタイプでしたが、今回のED5080は最初から重連対応として作られたものなので、当然重連用のジャンパ栓類は完備しています。
 実車は3両のみが製造された少数派ですが、当初は成田空港建設用として、空港の建設財団所属であったために形式が分かれただけで、実質は重連仕様のED5060と何ら変わりはありません。なので、ペアーハンズの交換用ナンバーも所持していることですし、まだ市場在庫があるうちにもう1セット、なんて考えていたりします。キリがない(^^;


 さて、このED5080と同時に出たのがこのヨです。私鉄でヨというとあまり馴染みはないかもしれませんが、東武には車掌車が存在していました。
 このヨがたまらなく欲しくって、以前、鉄コレでED6060が出た際にペアーハンズのキットも購入していたほどでした。ワールド工芸からもキットが出ていますが、それこそ金属キットでしか手に入らないものとばかり思っていました。
 そこにきて鉄コレでまさかのヨのリリースで、プラ完成品で念願の形式が出て嬉しいやら、買っていた金属キットが無駄になって悲しいやら。何にしても喜ばしいことで、なんと5両も買ってしまいました(^^; 鉄コレはこの先再版される保証もないので、このヨばかりは、欲しいと思った分だけ買っています。


 現状の我が家の貨物ヤードより。さながらかつての千住といったところでしょうか。
 しかし、この機関車を買ってから貨車がどんどん増えます。そしてまだまだ増えてます。そんなところで次回は貨車でしょうか。ということでまた次回ですー(^^)ノ

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2015'10.09.Fri
ブログを更新するのも久々になります。適度に更新するなんて言いながら忙しさを理由にまた放置です。とほほ。
 しかし、最近になって勤務形態が変わり、幾分以前よりも時間が取れるようになりましたので、なんとか更新していきたいところです。
 というわけで今回から数回にわけて、放置期間に購入したものをおさらいしてみます。

 以前にEF71を購入したのは書きましたが、EF71を購入したということは、対になるこの機関車も購入しております。

 D級ながらF級と変わらぬボディを持つED78。図体だけ大きくて性能はからきしのEF71とは違い、このカマは車体の大きさに違わぬ性能を持つ機関車です。
 ブレーキ性能に加えて、交流機関車の証である赤い車体に恥じない牽引力を持ち、板谷峠を上り下りしていたこの機関車、一度でいいから見てみたかった機関車の一つです。

 EF71と重連で津軽を牽かせてみます。交流機関車というのは、その構造上直流機関車よりも牽引力の強い機関車なので、2000トンを超える貨物列車ならともかく、定期列車で重連運用というのは稀有な存在です。しかも図体の大きな機関車2台というのは、否が応でも迫力が出ますね。
 模型としても、同じ時期に出た製品であり、しかも重連を前提とした遊び方をする機関車なので、動力の性能は合わせてあるようですね。当たり前といえば当たり前ですが。

 今回はこのあたりで。次回も機関車になりそうです。それでは(^^)ノ

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2015'08.30.Sun
ここのところ外泊が続いています。パソコンでネットを触ったのも昨日が久々。お盆に入ったあたりから資格取得のための研修で長いことビジネスホテル暮らしだったので、家の布団が気持ちいい。最高じゃないか!(マテ
 さて、表題の通り広島に行ってきたのですが、とりたてて特別なことはしなかったので簡易的にまとめてみます。

 前述のとおり多忙を極めたこともあり、今回は現地で1泊しかできませんでしたので、お決まりの原爆ドームと宮島を巡ってきました。はじめての広島だったのですが、巷じゃ珍しいと言われている干潮の時間にあたってしまい、肝心の「海の中にある神社」感が薄れてしまったのが残念。これはこれで貴重な体験かもしれないですが、初めての時くらいは、とも思ってしまいます。

 鉄道一辺倒のブログから脱却していきたい当ブログにおいて、今後取り上げたいジャンルナンバーワンであるグルメ関係にも触れておきます。

 訪れたのは八昌(はっしょう)さん。広島だけでなく各地にここで修業を積んだ弟子が店を構える、その本店のようなお店です。広島でお好み焼きといったらまず出てくるのがこの店でしょう。
 ちなみにこの画像を撮ったのは平日の午後5時半ごろ。それでも30分ほど並びましたから、その人気は推して知るべし、です。

 八昌さんのお好み焼きはひたすらオーソドックス。広島お好み焼きといったら誰もが想像するアレです。けどうまい。何がうまいって、すべてがうまい。
 ワタクシ正直、店で食べるお好み焼きというものを舐めてたんです。阪神タイガースが優勝すると飛び込む川の名前がついているチェーンなんて、高いばっかりで具が入ってなくてうまくない。農産物の出荷量が北海道に次ぐ2位の農業大国茨城に育ったワタクシは、自宅で作るキャベツたんまりネギたんまりカイワレたんまり肉これでもかという具だくさんお好み焼きで育ってしまったので、ああいうお店のお好み焼きは、ただ高いばっかりでおいしくないお好み焼きなのです。
 そんなお好み焼き感を持つ私でしたが、このお好み焼きは本当においしかった。使われている具材は卵に焼きそばにお好み焼きのタネに、とすごくオーソドックスなのですが、なぜかうまい。なんででしょう? 私にはわかりません。

 あと、煮込みキムチ味噌という煮込み料理、これすごくうまいです。感じとしてはモツ煮のような感じなのですが、キムチのピリッとした辛さと、よく煮込んだ具材がやわらかくてとてもおいしいです。おすすめです。

 で、今まで鉄道以外の話題しかしていないわけですが、なぜ今回急に広島へ行くことにしたのかというと、このニュースがきっかけでした。

「広電」がミャンマーの街に 路面電車3台を譲渡(中国新聞)

 わが国においては「鉄道」は一般的に広く普及している乗り物ですが、それは高い技術力と長年の経験があってこそのもので、ノウハウのない発展途上国では日常のメンテナンスすらおぼつかないという現状があるのです。
 事実、昨今インドネシアに輸出されている203・205系や東京メトロ05系にはすでに廃車が出ていますし、以前ミャンマーに譲渡されたキハ58も、日本国内ではあれだけ丈夫だ丈夫だと言われていたのに、機関の調整に手こずって譲渡後すぐにエンジンが下される始末。
 善意での無償譲渡でも結局は使いつぶされて壊れたら終わり、という悲しい現実があります。
(電機子チョッパ制御などという、日本の技術者の下支えがないと維持もままならない機器を搭載した車両を譲渡するJRやメトロもどうかと思いますが(^^;)
 話がそれましたが、大事にされて40年以上も働いてきた広島電鉄の電車たちに、異国に輸出されて使いつぶされる前になんとか一度会っておきたかったというのが、今回の旅の主目的です。
 結論から言ってしまえば、

 




 このように、あらかたの電車には出会えました。

 心残りは、602号に車庫でしか出会えなかったことと、1152号に出会えなかったことですが、チャンスは実質1.5日しかなかったことを思えば、十分な戦果といえるでしょう。

 そして、帰りは予告していた通りサンライズです。

 普段ですとソロを選択するところですが、今回は同行者(妹)がいるためシングルツインを選択。二人で使うとかなりお得なお部屋です。その分ツインよりは狭いですが。

 スマホの粗い画像で恐縮ですが、こんな感じのお部屋です。私は十分な広さで熟睡できたのですが、妹は3回ほど起きたようです(笑) サンライズは快適な宿のはずなんですけどね(^^;

 そんなこんなで、短い旅行の記録でした。
 それではまた(^^)ノ

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茨城県古河市在住。「いばらぎ」ではなく「いばらき」です。
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