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豚汁模型!

ブログタイトルは滅茶苦茶ですが、とりあえずゆるゆる細々とテツドウモケイをいじりたいなあ、というのが信条の脱力系ブログ(?)です。

2017'10.22.Sun
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2016'10.30.Sun
大好きな電車がそろそろ終焉ということで、大事にならないうちに撮影してきました。人ごみは苦手ですからね。

 東武8000、まだまだ活躍している両数は多いものの、先が見えてきています。東武では、このほど新しい特急の概要が出ましたし、先の見えた300・350系と6050系を撮っておかなければいけませんね。
 この日は60000系で運転される列車がかなりあり、ずいぶんと増えたような気がしました。野田線ももう8000系の天国ではないのですね。


 もう一つ、こちらも大好きな電車です。置き換え計画が発表され、私としてももう最後ということで、高崎駅にずいぶんと長い時間滞在しました。
 宇都宮線在住の私は、小山電車区の300番台を身近すぎて撮らなかったことを今も後悔し続けています。高崎の1000番台は、これで見納めでも後悔することはもうないでしょう。

 てっきり107系は全て運用離脱したと思っていたのですが、勘違いでした。この日見ただけでも3運用で107系が使われていました。この6連はオール前期型ですかね?
 あまり乗る機会はなかったですが、立ち寄った小山でずいぶん見ましたっけ。こちらもこれで見納めでしょう。


 好きな電車がどんどんいなくなってしまいさびしい限りですが、仕方ありません。しっかりとその光景を目に焼き付けて、家路に就きました。

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2016'05.31.Tue
お久しぶりです、なんていう枕詞を使わないくらいに更新をしたいと思ってはいるのですが、なかなかうまくいかないものです。
 というわけでお久しぶりです。4月の末に行われた上毛電鉄の大胡車庫でのイベントに行ってきたので、覚書でも書いておこうと思います。

 最近は興味を引く魅力的な電車も少なくなってきたので、撮影目的で出かけることも少なくなりました。というわけで、そろそろ去就が黄信号な車両を出かけついでにちまちまと撮影。


 具体的な発表はまだないですが、両者ともそろそろ何かしらの発表があるでしょう。ちなみに下の115系は、現状では2本しかないサハ組み込み編成のようです。


 さて、上の115系に乗って着いた先は桐生です。そこから上毛電鉄の発着する西桐生に乗り換えるには歩くことになるのですが、これが歩いてものの5分程度。これだけの距離ですから国鉄駅に隣接した立地に出来なかったのかとは思いますが、おそらくかつての繁華街はこちらにあったのでしょう。地方私鉄の駅の立地としてはよくあることです。
 西桐生のプラットホームに入ると、出迎えてくれたのは元京王3000形。2両編成が大変好ましく、この車両が似合うレイアウトを作ってやりたくなります。

 のどかな沿線風景に見惚れつつ電車に揺られ、大胡駅に到着。コンパクトにまとまっていますが、駅員配置駅としての機能は過不足なく整っている姿が何とも好ましい駅です。
 さて、このまま車庫を見に行ってもいいのですが、どうやら目当ての電車が来る時間までそうないようですので、駅の周辺を色々と探索します。
 
 大胡駅は今や貴重になった構内踏切のある駅で、車庫や線路関係の建物も含め、小レイアウトの見本としてはまさにうってつけです。

 おそらく現存はこれともう3台(東武博物館に1台と、花巻市に2台)という雨宮製作所製の電車用台車が側線に無造作に置かれていましたが、いいんでしょうかね? 上毛電鉄が客寄せ保存のためにわざわざ引き取ったものと記憶しますが、隣にある、これも無造作に置いてある東武5700系用の台車とともに、今後の処遇が気になります。

 そうこうしているうちに、お目当ての電車がやってきました。2016年現在で御年88歳という超長寿のデハ101です。このクラスの電車で動けるのは、もはや一畑電鉄(あえてこの名称でw)のデハニ50と琴電の旧型車と、あとはこの電車しか無いのではないでしょうか。そしてこの電車がすごいのは、イベント時や貸切列車のみとはいえ、営業線上で乗車できるということです。邪魔者(失礼!)がおらず自分の走りだけに集中できる動態保存車とは違い、ほかの列車の邪魔にならぬよう、それなりの速度で走らねばならない営業線での運転は大変に貴重で、もはや国内で乗れるのはここだけなのではないでしょうか。
 もちろんここで乗ることもできるのですが、ここでは撮影するだけにとどめ、車庫に向かうことにしました。

 今回訪れた最大の目的は、この車庫をじっくり見学すること。現在所持している鉄コレや、密かに進む大きい模型の購入計画から察するに、これくらいの規模の車庫モジュールが欲しくなることは明確ですので、それらの参考にすべく以前から注目していた車庫なのでした。

 登録有形文化財にも指定されたこの木造車庫、舐めまわすように(^^;)いろいろ見てきました。

 模型の参考になるようにと、カメラのフラッシュを使いまくったためにこの車庫だけでバッテリー1つ使い切ってしまうくらい、膨大な枚数の写真を撮りました。全て掲載するわけにもいかないので、私視点で面白いと思ったものをいくつかご紹介。

 現役ではないようですが、昔ながらのベルトで連動するタイプの旋盤加工室が残されており、見学者は自由に中を見ることができます
 
 加工室のメイン機械である旋盤です。これもベルトで伝えられた動力によって動きます。旋盤は金属のねじ切りや表面削りを行うものですから、車輪の転削などがこの機械室で行われたのでしょうか。

 こんなものも見つけました。おそらく、下にある箱の中にくず鉄を入れて、上にある空気圧で作動するタイプのシリンダーで押し付けて、くず鉄をぺしゃんこにするものと思います。注目すべきはシリンダーの形状で、これ、台車にくっついているブレーキシリンダーではないでしょうか。鉄道の修理工場ならではの再利用品ですね。

 さて、工場設備だけでは飽きてしまいますから、ここからは車両です。こちらは先ほどのデハ101と同形式のデハ104です。デハ101とともに残された旧型車で、デハ101とは違い黄色をまといます。上毛電鉄は1980年代に西武の旧型車に統一されて雑多な旧来からの車両は一掃されるのですが、それまでの車両がまとっていたのがこの黄色です。この2両が残されたのは、かつて三俣駅にあった製油所への貨物輸送があったためで、電気機関車を保有していなかった上毛電鉄は、小回りが利いたデハ100型を貨物輸送用として2両だけ残したのでした。電気機関車を保有しておらず、やむを得ず残したこの2両が、現代では観光資源になるのだから面白いですね。

 先ほど「上毛電鉄は電気機関車を保有していない」と言ったばかりですが、電気機関車の紹介をします。といっても、客寄せ保存目的で東急から譲渡された機関車なので、上毛電鉄とは関係のない車両です。
 1926年に川崎車両で製造されたデキ3021です。上のデハ100型が同じく川崎車両で1928年に製造された車両ですから、同郷の車両が80年の時を超えて出会ったことになりますね。
 川崎車両ではこの車を標準車として各私鉄に売り込みたかったらしく、同型車として山形交通や伊勢電(後に名鉄に買収)の車両があります。もっとも、そのころの主流であったウエスチングハウス製や、ウエスチングハウス製の機関車を国内でコピーした車両ほどには普及しなかったようです。
 実車は長く東急唯一の機関車として主に工場内の入れ替えに活躍していましたが、2009年についに用途を失って解体の運命にあった所を、上毛電鉄に救われる形でこの大胡にやってきました。
 車籍がないので本線運転はできませんが、構内での運転は可能で、イベント時などでは元気に動いているようです。この日も乗車体験などで構内を行ったり来たりしていました。

 この貨車も上毛電鉄とはあまり関係のない貨車です。東武鉄道テ200形テ241です。
 形式が示す「テ」は鉄製有蓋車の印であり、このカテゴリーは湿気を嫌う荷物を運ぶために作られた車両で、主に袋詰めセメントの輸送用として使用されました。葛生など多くの石灰石鉱山を沿線に持っていた東武や、西武鉄道、秩父鉄道、上信電鉄などにゆかりのある貨車で、養蚕で栄えた上毛電鉄にはあまり縁のない車両です。
 やがてセメントの輸送が袋詰めではなく、ホッパ車などで直接運ぶ方法が主流になるとあまり使用されることはなくなり、この車も東武野田線の七光台車庫で工事用兼倉庫として残されていたものでした。
 やがて上記のデキ3021が上毛にやってくる際に一緒にやってきた車両で、電気機関車の相方が欲しかったのでしょうか。いずれにせよ、消えていく運命にあった車両が残されたのは意義があることですね。

 さて、車庫の話はこれくらいにして、いよいよデハ101に乗り込みます。

 大胡駅に滑り込んでくる古老。イベント時のみとはいえ、乗車区間の切符を持ってさえいれば、営業運転ならではの本気の吊りかけサウンドを体験することができるのです。これは本当にすばらしいことです。

 車内の雰囲気も大変に素晴らしい。白熱灯に照らされた木目の麗しい車内に響き渡る吊り掛け電車特有のモーター音と、「パスパスパスパス」という頼りないコンプレッサー音。「タイムスリップしたような」という言葉はよく使われますが、本当に当時そのままで、感動しきりでした。スマホに車内の音も入った動画を撮ったので、いずれYoutubeかどこかにアップしようと思っています。

 デハ101は中央前橋に滑り込みます。この駅も国鉄駅から離れて建設されました。小私鉄らしくこじんまりとしていながらも、地域の私鉄の終端駅としての風格は充分にあり、前から好きな駅でしたが、訪れてみてもっと気に入りました。

 中央前橋は川沿いにある駅なのですが、その川と駅のバランスが絶妙で、大胡駅だけでなくこういう駅もレイアウトに取り入れたくなります。いい駅です。
 折り返しのデハ101に乗ることもありあまり見る時間が取れなかったので、次回は駅目当てで訪れたいところです。そういえば、福島交通の飯坂温泉も川沿いの終端駅として好きな駅で、一度訪れてみたいですね。


 さて、帰りもデハ101に乗って、そのまま西桐生まで行きたいところですが、大胡に入庫してしまうので、やむなく大胡で降りて後続の普通列車に乗り換え、上毛電鉄を後にしました。
 上毛電鉄は以前から伺うチャンスをうかがっていたのですが、予想以上に素晴らしいものでいっぱいで、もっと早くに訪れておくべきでした。また機会があれば行きたいと思います。


 帰宅時も去就が心配される車両を記録しながら、家路につきました。

 ここまでご覧いただきありがとうございました。それではまた(^^)ノ

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2016'04.16.Sat
熊本が大変なことになっているようです。情報が錯綜しており、何が真実かわからない状況なのであれこれと言及しませんが、被災された皆様の無事を願っております。

 さて、影響のない地域ではいつも通りに過ごすことも重要ですので、このブログではいつも通りに記事を進めていきます。
 いつもですとこのような書き出しの場合は模型を買った場合が多いのですが、今回はいつもと毛色の違う記事をお送りします。
 きっかけはツイッターでした。ある日にラックレールの話題になり、ラックレールが廃止になったあとのレールの転用先について興味深い言及がありました。
 ラックレールを用いたアプト式についておさらいしておくと、車両側に取り付けられた歯車(ピニオンと呼びます)と、二本のレールの間に取り付けられたギザギザのレール、これをラックレールと呼ぶのですが、車両側の歯車と線路側のラックレールとをかみ合わせて急こう配を登っていくシステムです。日本では大井川鉄道井川線で採用されているほか、かつての碓氷峠で使用されていました。碓氷峠では、

本線上としては最初の電気機関車として知られるEC40や、

ED40やED42といった電気機関車が使用されていました。お察しのように、現在の碓氷峠では廃止されたシステムで、ラックレールもそれに併せて取り外されたのですが、一部が排水溝のふたや金具など他の用途に転用されて、現在でも見ることができます。横川駅や横川駅の周辺では、いたるところで見ることができますね。

 そして、冒頭のツイッターの話。なんでも、ラックレールの転用先として最遠なのが古河駅なのだそうです。古河といえば宇都宮線の駅ですから、碓氷峠との縁は薄い地です。なぜなんでしょうね? というわけで、用事を済ましがてら見てくることにしました。

 あっさり見つけました。場所は、古河駅南口を出て、右に曲がって線路沿いを行ったところにあるJRバスの事務所の敷地内です。自転車の駐輪場も兼ねているため、簡単に入ることができます。
 確かにこれはラックレールです。どうやら縁石のような使われた方をしているらしく、コンクリートに固定されていました。それならば普通に縁石を置けばいいと思うのですが、ますますわかりません。

 使われている場所も謎です。ラックレールが置かれているのは、バスの詰所の物置か、あるいはごみ集積場といった趣の小屋の前です。それにしてもわかりません。
 現在の古河駅は高架駅ですが、ラックレールが使用されている時代の古河駅は高架駅ではありませんでした。高架駅になったのは1984年で、現在JRバスの詰所も高架の下にありますから、この位置に国鉄バスの施設ができたのもそれ以降ということになります。国土地理院の空中写真で見ても、高架化される前のこの辺りはプラットホームであろうことが推測できます。碓氷峠でアプト式が廃止されたのが1963年ですから、明らかに時代が合いません。碓氷峠のアプト式が廃止されてからずいぶん経った後で設置されたことになるのですが、それにしてもどこから持ってきたもので、何のために設置されたのかも謎のままです。どなたかご存知の方は、教授いただけるとありがたいです。

 それではまた(^^)ノ

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2016'03.30.Wed
以前に西武鉄道の博物館がほしい、というような話をしましたが、京王は最近になって自前で博物館というか、車両展示スペースを作りまして、私のような古い電車が好きな変わり者には嬉しい施設となりました。
 場所は多摩動物公園で、近隣の大学関係者以外にはあまり縁のない場所ですが、随分前のことにはなりますが幸いにして近くに用事ができましたので、これ幸いと覗いてきました。撮ったときは大変に暑い日だったはずですから、なんともはや、という感じです(^^;

 車両展示スペースはこんな感じ。以前は鉄道模型の運転場があった場所なのですが、見事に車両が入っていますね。ちなみに、隣接する資料館もあるのですが、こちらは子供向けの感が強いので割愛します。HOゲージレイアウトもありますが、子どもが動かせるようになっているだけで、一斉に車両が動き出すようなイベントも行われません。この辺りは、今後充実していただきたいな、と思うところですが、多摩動物公園の隣という立地だけに難しいのかもしれません。
 それではさっそく展示車両の紹介へ。

 2400型2410号、1940年製造というには古めかしく、また14mという小さなサイズの電車ですが、当時の京王は路面電車規格で、大型車が入ってくるのは1960年ごろになります。このあたり、当時は帝都電鉄という別会社だった井の頭線では17m車が幅を利かせており、現在とは違う状況が面白いところです。
 1963年の架線電圧の昇圧によって大半の仲間が廃車になった後も、支線で使われていた同車ですが、保安装置の変更がアダとなって廃車になりました。その後は多摩動物公園駅前で保存展示されたのちに若葉台検車区に移り、また多摩動物公園へと戻ってきたわけですから、一種の里帰りですね。
 この小さなかわいい電車、個人的に好きな電車のかなり上位に来る電車で、若葉台時代から見たかったのですが、常設展示されることになり、嬉しさもひとしおです。

 こちらは2010型2015号、2410とは打って変わってカルダン駆動の高性能車です。ここに来なくとも実は銚子電鉄で乗れる(!)のですが、それはまた別の機会に。
 初期高性能車ということで、世代的には小田急2200型や東急5000型などと同時期の製造となりますが、製造両数の少なさゆえか、あまり日の当たらない形式です。先の2410号のような14m車を電装解除してトレーラーとして編成に組み込んでいたことも特筆できますね。
 末期には普通電車専用となりますが、どうやら京王沿線の大学出身の母親が乗ったことがある様子。冷房もないこの電車がホームに滑り込んでくると「ハズレ」だったそうな(笑)

 京王5000型は、もう詳細を説明するのも野暮というほどの名車ですね。
 この電車、事業用車となってから見に行こうと思えば見に行けたのですが、タイミングが合わずに実見できないままでした。幸いにして各地の私鉄で今も動いており、富士急行で実際に載ることができたのはうれしかったですね。

 富士急行ではリバイバル色として、京王電鉄時代の塗装でも活躍しています。置き換えは時間の問題でしょう。

 続いては6000型。こちらは近年まで活躍していたのでお馴染みの方も多いでしょう。私も乗ったことがあります。

 なんとか写せた優等運用の写真から。パンタが切れているというどうしようもない写真ですが、せっかくなのでご笑覧下さい。
 
 こちらは井の頭線用の3000型。こちらも知らない人はいないですよね。長い間活躍しましたが、つい近年、京王線上からは姿を消しました。今は各地の地方私鉄で第二の人生を歩んでいる車両が多くいますね。

 3000型は、待っていれば来る手軽さも相まってよく写しました。最末期にも優等運用によく入り、急行灯を点灯させて最後の頑張りを見せている姿を何度となくカメラに収めましたっけ。今では1000型の天下で、足が向かなくなりましたね。

 京王の博物館、走っている姿を拝めなかった車両たちが多数おり、ありがたい場所です。ほかの電鉄会社もこのような施設を作っていただきたいですね。特に西武、京成、小田急あたりは、見たい電車を車庫に保管していますから、ぜひともお願いしたいところです。
 それではまた(^^)ノ

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2016'01.11.Mon
真岡というと自宅から1時間半ほどということもあり、我が家では「冬にいちごを食べに行くところ」という印象が強いのですが、ここ最近で蒸気機関車の数がずいぶんと増え、北関東では随一の鉄道ミュージアムになってきた感があります。
 今回はその真岡駅に隣接する「SLキューロク館」にD51が新たに加わり、整備が完了したということでお披露目イベントがあり、参加してまいりました。あれこれやっているうちにずいぶん経ってしまいました(^^;
 まずは新加入組以外の紹介を。


 貨車が多いところなので、少し省きながらご紹介。貨車は来歴がはっきりしない車も多く、不明な点が多々ありますがご容赦ください。
 写真中央は蒲原鉄道のワ12で、1930年に新潟鉄工で作られた車です。この当時にあらゆる地方私鉄に納入されていた標準車ですね。
 その左は1940年に日本車両で作られた一畑電鉄ト60です。1940年製造というには少し古風な外観なのですが、本当に1940年製造というのかすらもはっきりしないのが、貨車の面白いところであり、難しいところでもあります。
 さらに左は国鉄のヨ8016です。真岡に来てずいぶん経っていた車両で、整備がなされず荒れ放題だったのですが、かなり綺麗になっていました。

 この編成のしんがりを務めるのがワフ16です。この車も複雑な経歴を持っています。
 元国鉄の木造ワフを水島臨海鉄道で鋼体化したもので、案内板には製造は国鉄鷹取工場で1910年製と書かれていますが、上回りは1958年に新しく作られたものです。
 以上、ヨ8000を除いた3形式はいずれも地方鉄道で過ごしてきたということもあって、ここではなくてもっとふさわしい場所で保存してほしいという気もしますが、適切な管理のもとで保存されるというのは大変に喜ばしいことで、歓迎です。


 貨車はキューロク館の対岸にも留置されていますので簡単にご紹介します。戦後の標準型ヨ3500を二段リンク化して制限速度を引き上げたヨ5000です。真岡には2両いますが、表記類は読めなくなっています。ごらんのとおり、状態は悪いです。


 こちらも車掌車の一種ですが、荷物室も備えた緩急車です。全国に広汎に使われたワフ29500ですが、こちらは前掲のヨよりは状態はいいです。以前はもう1両いたのですが、こちらは行方不明。解体されたんでしょうかね。
 そのほかトラ70000が数両いますが、番号がはっきりしないため割愛します。


 キハ20は2両存在します。上が247番、下が213番です。この2両が実際に国鉄真岡線で走っていたかどうかは定かではありませんが、3セク転換前の真岡線の主力車両はまぎれもなくキハ20でした。個人的には蒸気機関車よりもこちらを動態保存していただきたいところですが、いすみ鉄道などの話を聞くに、現実は簡単ではないようですね。


 同様にDE10も2両存在します。上は1014号機、下は95号機です。どちらもDE10ですが、来歴はずいぶんと異なります。
 1014号機は客車の回送用に導入したDE10の部品取りとして大阪からやってきた車両でしたが、元をたどるとJR四国のアイランドエクスプレス牽引機という華々しい経歴の持ち主です。近年まで大阪貨物ターミナルでスイッチャーとして働いていました。
 95号機は国鉄時代に廃車になった機関車で、ずいぶん長いこと真岡に放置されたままになっています。DE10の0番台は早期に廃車されたものが多く貴重な生き残りなのですが、真岡での扱いは粗雑の一言に尽きます(^^;

 さて、施設の名称が「SLキューロク館」というくらいですから、9600型ももちろんいます。
 この49671も一癖ある機関車でして、通常運転席は左側にあるのが常識ですが、なんとこの車は右側に運転席がついているのです。これは、所属していた五稜郭機関区時代、働き場であった青函連絡船の航送貨物の積み込みを行う際に、構内が右カーブの連続であったために運転士の視界を確保する必要性から改造されたものです。
 面白いのが、この機関車は1976年に廃車となるのですが、末期に右側運転台のまま他区へと移っており、68年には北見、廃車寸前の75年には滝川(廃車前提の移動?)に転属しており、他車が左側に運転台があるにもかかわらず、この機関車だけは右側運転台のまま仕業に就いていたのです。おそらくは入れ替え専用機であったからであると思われますが、現場ではたいそう扱いづらい機関車であったことは想像に難くありません。
 そんな特殊な機関車が、実は「生きている」というのは、存外にすごいことなのかもしれません。

 この黒光りした動輪からもわかるように、この機関車は「生きて」います。石炭ではなく圧縮空気を利用してのもののため、牽引力は往時には到底及びませんが、それでも動いている蒸気機関車というのは迫力のあるものです。

 そんな9600の後ろには青い客車が。サボには「日本海」の表示がありましたが、これはスハフ44のためフェイクです。
 スハフ44という車両は、80年代の終わりまで長らく活躍したスハ43やスハフ42の北海道版で、道内では急行ニセコを中心に幅広く活躍していました。このスハフ44 25も北海道内で長く活躍した車両でしたが、青函連絡船が退役する際に羊蹄丸の中に取り込まれ、長らく船の科学館の収蔵品として保存されていた車両です。私も船の科学館で見た覚えがあります。
 その後、羊蹄丸が解体されることになり、中に保存されていたこの車は真岡鉄道に引き取られることになりました。
 現在では保存車兼休憩室となっているのですが、その内部がまた素晴らしい。


 羊蹄丸に取り込まれた際に何も改装をしなかったため、本当に国鉄そのままの状態で保存されています。あまりにそのままなので、普通に乗ってしまって大丈夫なのかといぶかしんだくらいです。
 どれだけの人がこの車内のコンディションに気づけるのかはわかりませんが、大切に引き継いでいってもらいたいものです。


 さて、いよいよ本命のD51です。といっても、この日は公開初日だったこともあり満足な写真は撮れず。申し訳程度に写真を載せて、プロフィールの紹介と行きます。
 真岡に来る以前は静岡県で保存されていたD51 146ですが、生涯を北海道で暮らした根っからの道産子です。1938年に追分に配置されてから、1976年に岩見沢で廃車になるまで、一貫して道内で活躍してきました。長万部に長く配置されていた機関車で、長万部は函館本線を中心に運用していましたから、49671とももしかしたら函館で顔を合わせていたかもしれません。
 状態はいたって良好で、今にも走り出しそうなほどによく整備されていました。ここの蒸気機関車はどれもペンキを塗りたくった無粋なやりかたはしておらず、さすがは実際に機関車を動かしている会社だな、と感じました。
    
 9600は圧縮空気での動態保存でしたが、いよいよこちらは本当に蒸気で動いている機関車です。
 真岡鉄道が蒸気機関車を多数持つきっかけとなったC12 66です。こちらはもうお馴染みですね。現役時代は中央本線の上諏訪機関区に長く在籍した機関車で、入れ替え用としての在籍だったようです。
 最近の検査で異常が見つかったようで、早く復帰してほしいですね。

 そして蒸気で動くもう1両は、こちらもお馴染みC11 325です。この日の主役でした。
 新製配置は茅ケ崎で、茅ケ崎区にSLの配置がなくなるまで相模線で活躍しました。その後米沢に移って入替と左沢線用に使われ廃車となります。左沢線のSLサヨナラ列車を牽引したのもこの機関車です。
 真岡鉄道の所属ではありますが、使い勝手がいいこともあって他所へ貸し出されることの多い機関車で、真岡鉄道を走っている姿というのは少し撮りづらいという変わった機関車です。

 最後は、4機の機関車すべての汽笛吹聴を行ってイベントは終了となりました。いやあ、うるさかったのなんの(笑) しかし蒸気機関車の迫力ある姿は、普段電車を追っかけている私からすれば非日常であり、楽しいイベントでありました。

 それでは今回はこの辺で。次回は模型になると思います。

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