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豚汁模型!

鉄道模型のごった煮をゆるくほそぼそ楽しむブログ

2024'05.02.Thu
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2015'11.10.Tue
前回に貨車をちょっくら、なんて話していましたが、鉄は熱いうちにということで秩父に行ってきた記録を忘れないうちに書いておこうと思います。西武秩父線の横瀬まで、西武鉄道の電気機関車を見に行ってまいりました。
 そもそも横瀬などという西武秩父一歩手前の大変辺鄙な場所になぜ保存するだけの施設があるといえば、貨物を取り扱っていた時代に貨車と機関車の検査場が横瀬にあった名残なんですね。

 今回、往路は池袋からレッドアローで快適な旅だったんですが、西武秩父線ってものすごい登るんですね。西武鉄道にはてんで縁がなく、初めての秩父線だったんですが、あんなところを大正生まれの古豪が登り下りしていたと思うと、いやはや凄まじいというか何というか。
 そんなこんなで前置きはこれくらいにして、以前から会いたかったその大正生まれの古豪たちを紹介したいと思います。


 E43、大正15年製、英国イングリッシュ・エレクトリック社製造のエリートです。
 元をたどると、現在の青梅線の前身にあたる青梅鉄道が発注した機関車で、その後の国鉄買収によって国鉄所属になりましたが、EF53やEF56などの重量級が多数活躍していた国鉄で使うにはどうにも小さく、戦後すぐに西武鉄道に譲渡されます。
 西武では使いやすかったのか、昭和末まで使われ、保存されたのが本機です。僚機のE44も西武廃車後に国鉄の手にわたって新鶴見で保管されたのですが、しばらく音沙汰がなく心配しておりました。幸いにして未だに車庫の奥で眠っているようで、ひとまず安心しています。
 この機関車は青梅電鉄のほかにも、近鉄や東武、秩父鉄道などにも納入されており、いずれは模型でほしい機関車です。他の機関車よりも多めに写真を撮って、今後作る際の参考にしようと思います。・・・・・・うーん、金属キットですか(^^;


 E61、大正13年、こちらも名門、米国ゼネラルエレクトリック社製です。
 私鉄が発注したE43に対して、こちらは国鉄が発注した機関車です。国鉄が国産電気機関車の開発を行っていた時期にサンプル目的で購入した車両で、E43と同じくその小ささのために早期に西武に売り払われましたが、こちらも長い間活躍しました。


 E71、大正15年、さらに米国ウエスチングハウス社製です。
 この機関車だけは茶色塗装ですが、国鉄時代のED10の仕様に復元されています。なかなかローズレッドの西武塗装も似合っていたのですが、茶色のこの塗装もなかなか似合っています。
 このあと紹介するE851が登場するとE71は予備車になり、あまり動かないまま昭和末期に廃車になるのですが、こうやってきちんと保存されていることで平成の世でも出会えるわけで、ありがたいものです。
 E61もアメリカ製ですが、E61よりもアメリカらしい武骨な機関車で、なかなか好きな機関車です。

 
 E51、大正12年、なんとスイスは名門ブラウンボベリ社製というサラブレットです。
 イングリッシュエレクトリックやウエスチングハウスは日本でも馴染みのあるメーカーですが、ブラウンボベリという名前は日本ではあまり聞かないメーカーだと思います。このブラウンボベリ、ヨーロッパではたいそう名の知れたメーカーで、1890年設立で、なおかつ現在も鉄道車両を作り続けているメーカーです。
 なぜそんな大メーカーの車両が日本で普及しなかったかというと、時計で有名なスイスらしく精巧な作りで、きちんと使えれば非常に優秀な機関車を作っていたのですが、当時の日本には精巧なスイスの機械を整備できるだけの技術がなかったのです。その結果、丈夫なアメリカやイギリスの製品ばかりが日本で広がり、精巧な技術を持つヨーロッパのメーカーは日本では普及しなかったのです。
 このE51はそんなスイスの機関車の中でも、日本で働き続けた稀有な例で、もちろん保存機としては唯一の存在です。スイス製の機器類はさすがの西武でも使いづらかったらしく、後年国産品に交換されていますが、派手な改造を行わずに活躍させ続けたのは、オリジナルへのリスペクトなのではないかと勝手に思っています。


 ヘッドマークも凛々しいE851です。12系を牽引して最後の花道を飾った際のヘッドマークですね。
 EF60と同等の性能を持ち、私鉄最強をほしいままにするこの機関車も、華々しい活躍は製造後十数年といったところでしょうか。ぜひとも定期列車で客車を牽いてほしかったです。
 NゲージではロングセラーのKATOとマイクロエースからも製品化されましたね。貨車セットは非常に魅力的で、買うかどうか最後まで迷った記憶があります。結果的にはKATOの101やマイクロの701あたりを買うきっかけにならなくてよかったというところでしょうか。


 あまり興味もないのか、子どもが写っている写真で恐縮です。E31ですね。
 この機関車、E851を短くしたような、このサイズとしてはなかなかかっこいい外見の車両ですが、面白いのはその中身です。台車は80系の廃車発生品DT20A、電動機は351系の発生品、つまりは国鉄でいうところの17メートル国電用MT4、ほかにも電車用の古い部品をたんまり積んだキメラのような車両です。その上製造は西武所沢工場ですから、寄せ集めの部品の集大成なのも頷けようというものです。
 中身はなかなか面白い車両ですが、外見はというと、E851のインパクトが強すぎていまいちパッとしないというか、何というか。

 長くなりそうなので、とりあえずこの辺りで一旦切ります。見てきた車両はまだありますので、こちらも近いうちにお目にかけようと思います。
 それではまた(^^)ノ

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2012'12.17.Mon
DSCN4686s.jpg 長野といっても長野市へは行かず、上田近辺をぶらついてまいりました。ちなみに必要があって新幹線で上田まで行ったのですが、実は新幹線に一人で乗るのは初めて。鉄道好きで21年生きてきて0というのは、いかに鈍行派であるかということかが分かります(^^;
 さて、私が赴いた12月15日は投票日の前日であったわけですが、朝の9時からみんなの党の渡辺さんが応援演説に来てました。その後、周辺をブラブラしていたら、今度は現職国交相が乗る選挙カーに遭遇。そんな大事な選挙区なのかと思って後で調べたら、羽田孜氏が辞められた選挙区だったんですね。どうりで大事なわけです。

IMG_5672s.jpg 選挙の話はこれくらいにして、そんで何のためにはるばる上田まで出向いたかというと、こいつに乗ってました。
 しなの鉄道の169系です。来年の4月で引退だそうですから、乗り収めですね。
 実は、友人にとある団体専用列車に乗らないかと誘われまして、折角だからと行ってきました。
 詳細は言えないというか、詳細まで語っていいのかよく分からないのでとりあえず乗りましたという報告だけで、ひとまずよろしくお願いします。
 急行型特有の窓から車窓を眺めながら食べる峠の釜飯は最高でした。

DSCN4699s.jpg 釜飯を食べたあたりから分かりますが、件の169系はお昼過ぎからの運転だったわけです。で、何で朝9時に上田に付いていたのかと言うと、まあせっかく上田まで行くんだからとここに寄っていたんですね。
 上田交通(私的にはこの呼び方がしっくりきます)で別所温泉までのんびり電車旅をしてきました。小学生の頃(幼稚園時代か?)に乗ったはずですが、全く覚えていませんで、逆に新鮮な乗車となりました。
 終点の別所温泉に保存されているモハ5250も幼稚園時代のあの頃(当時の写真が残っています)とは見違えるように綺麗になっていました。
 ただ、当時は2両あったはずですが1両はどこに行ったんですかね。当時はモハ5250は3両保存されていて、2両が別所温泉にあってもう1両は高架化される前の上田駅にあったはずで、上田にあった1両は鉄道の計器を作る会社に移されたのは知っていたのですが、別所のもう1両はどこに行ったんでしょうかねえ。

DSCN4742s.jpg 下之郷の車庫も見てきました。ここも幼稚園のときに来ているはずですが、全く記憶にありません。。。
 今の鉄コレ箱買いの感じから言って、将来これくらいの規模の地方私鉄駅兼車庫のセクションが欲しくなることは目に見えているので、資料代わりに撮影をしつつブラブラ。本線上で入換をするなど、地方私鉄ならではの光景も見れました。
 こういった小車庫はもっと取材をしたいところ。小湊の五井や銚子の仲ノ町、それに今はなき鹿島の石岡あたりには行っているので、次は上毛の大胡がターゲットです。
 ちなみに、この車庫は1500V昇圧の際に移転してきたもので、私が求める「一昔前の地方私鉄の車庫」ではないのです(本線と車庫の枕木の色でも分かると思います)が、こうして取材をしてみると結構インスピレーションの助けになることも多いものです。

DSCN4711s.jpg ちなみにこれが昇圧する以前にあった上田原の車庫。これが見れるうちに上田には行きたかった。。。
 この絵は上田電鉄を応援する市民グループの方が書かれたもので、電車の車内に飾られていたものですが、それにしてもよく雰囲気出てますよねえ。ED26はちょっと形が違いますけど、それでも雰囲気はばっちりです。
 こうやって見ると、地方私鉄にはやっぱり住民の支援はなくてはならないなあと思いますね。


 それではまたこの辺でー(^^)ノ


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2012'12.14.Fri
IMG_5455s.jpg 買い物の後、あけぼの入選の時間が迫っているためすぐにホームへ。
 するとなにやらいい面構えの立ち食いそば屋があるじゃありませんか。しかも店名が八甲田。これは我々に食えと言っているようなものです。
 早速注文、あっという間におばちゃんから「はい、かけそばね」の声。すすってみるとやっぱりあの懐かしい味。そしてものの数分で完食する一行。どこまでも国鉄です。ええ、我々国鉄党ですもの。

IMG_5465s.jpg そんなこんなしていると、やってきましたやってきました。EF81-136号機牽引の上りあけぼのです。
 うまくバルブ撮影できているように見えますが、実はお留守番していてくれた方に預けた荷物の中にカメラの遠隔スイッチを忘れたため、タイマーでシャッターを切って、事前に設定できるギリギリの30秒開けという、なんとも強引に撮った写真でもあります(^^; 帰ってパソコンで確認するまでうまく撮れたか分からなかったので、確認してホッとした一枚です。
 余談ですが、まだカマ当てクイズは継続して行われており、DE10をmattunさんが、EF81をSEKKIさんが獲得しています。流れからして二台ずつあるんだろうとは思っていましたが、これってすごいことですよねえ。

IMG_5488s.jpg 発車の瞬間はまたも撮り忘れましたw それだけウッキウキですw
 当たり前ですが(?)出発した後はもう酒宴です。寝台列車で地場のうまいつまみをパクつきながら酒を飲む。最高の贅沢じゃないですか。
 酒場のテーブルは撮り忘れたのでこちらを見ていただくとして、手をつける前にとにかく気になったのが無造作に積まれていたコレ。ホーロー看板でお馴染みのノザキのコンビーフですよ! これ、ビールに合うんですよねえ(注:管理人は大学生です
 このコンビーフはSEKKIさんが持ち込んだもののようですが、他に並んでいたのはヒラメ、中トロ、イカ、エビそしてちくわまでも地場のもので構成されたつまみの数々。用意してくれたひさしさんゴチです!
 肝心の味のほうですが、これがまたうまいのなんの。特にイカ! さすがは本場津軽海峡のイカです。イカってのは普通淡白な味を楽しむものですが、ここのイカは甘い、とにかく甘い。小学生のときに泊まった宿から見た函館湾の光景は、イカ釣り漁船の光でかえってまぶしかったことを思い出しながら、イカをパクつくのでありました。

IMG_5484s.jpg ここで、最後の良心こと担任教師mattunさんが何やら酒盛りしていたところとは別のベッドをゴソゴソやっています。
 聞くところによると、「下りのときにベッドメイクをしないで寝た不届き者がいた」とのことで、自らベッドメイクを買って出てくれました。それにしても、とんでもない不届き者がいたものですねえ。

 一段落した後も、たこわさをつまみながらMr.Sさんが提供してくれた高清水をちびちび、呑みがある程度落ち着いてきたら、青森でSEKKIさんが全員の分を買って冷やしておいたりんごをかじりながらのんびりと会話に花を咲かせていたところ、ここでnoto92さんがダウンw 座ったまま昇天していますw
 ついさっきまでかずさんと楽しそうに呑んでいたはずなのですが、どうやらハイオクの入れすぎでエンジンブローを起してしまったようです。程なくしてmattunさんが整えておいたベッドへピットイン。そのままリタイアとなったのでした。

 途中まもさんから入電が入るなどした後、そんなわけでこのあたりでということで、酒田あたり(このあたり、眠くて記憶があいまいだったりします(^^;)で宴もたけなわとなりました。当たり前ですが、ベッドに入った瞬間に就寝です(^^;
 この後機関車交換を見届けるため長岡で起きているのですが、よく携帯のアラームで起きられたもんだなあと思います。あるいは他の方に起してもらったのかもしれませんが、なにぶん眠くてあまり記憶に残っておりませんw 長岡駅の写真は残っているので、起きたことは確かなのですが・・・・・・(^^;

IMG_5504s.jpg 翌朝、おそらくアラームもかけずに寝てしまったのでしょう。記憶はmattunさんにたたき起こされたところから始まっています。
 目覚まし代わりにカメラを少しいじってみます。何気ないスナップですが、案外こういうのがあとで懐かしく感じたりするのかもしれません。

 さて、皆さん起きだしてきたところで最後のカマ当てクイズです。現在残っているのは、かずさん、ひさしさん、noto92さんの3人。ここで勝ったのはかずさん! かずさんやりましたね! ・・・・・・と、何やらかずさん複雑な表情。やはり景品はKATOのEF64-1000です。カッコいいし、いいじゃないですか!
 で、かずさんに贈呈が終わった後に何やらSEKKIさんがバッグをゴソゴソ。「景品が渡らなかったお二方には残念賞がありまして・・・」とのこと。あけぼのを牽くカマは入換のDE10を含めても全部で6台。参加者は8名。とすると、どうしても2人あぶれる計算になります。義理人情に厚いSEKKIさんのことですから、あぶれた2人にも何か景品があるのではないかと、私が下りでEF81を当てたあたりで薄々勘付いてはいたんです。まあせいぜい粗品だろうと、わざわざNゲージの機関車を6台も用意する人たちが何を根拠に粗品なんて残念賞にするかだなんて、疲労と酒の回った頭では思いもつきませんでした。

IMG_5493s.jpg
 とんでもない残念賞が来たぞ!!!

 喜多局でご覧になった方も多いであろう、ライトの光る推進回送車。これがなんと残念賞、いや、残念賞でもなんでもなくむしろ「当たり」なのでした。幹事グループのため残念賞の景品が何かを知っていたかずさんからすれば、最後の最後にこれを逃してしまった複雑そうな表情も分かるというものです。
 それにしても、こいつは欲しいです。いや、私がもらったものが欲しくなかったとかそういう意味ではなく、単純に欲しい。だってコレ、カンテラどころか開いている貫通扉のテールマークも光るんですよ。これはどう考えても欲しいでしょう。
 GETされたひさしさんとnoto92さんが心底うらやましくなった朝でした。

IMG_5507s.jpg そんなこんないしているうちに、もう上野もすぐそこです。分かる人にはすぐ分かると思いますが、画像だともう尾久を過ぎてしまっていますね
 こうなってしまうともう上野もすぐそこ。参加した皆さん全員が、窓から外を見つめて一言も発しようとはしません。名残を惜しむわけではありませんが、上野に到着までをかみ締めているのかもしれません。



 そして・・・・・・。



IMG_5511s.jpg う”えの~、う”えの~。

 私にはしっかり聞こえました。たとえ聞こえなくていなかったとしても、私には聞こえました。






IMG_5513s.jpg EF64も、ここまでお疲れ様でした。
 いい旅が出来たのも、ひとえに機関車と機関士と、それにこのあけぼのに関わる大勢の人たちのおかげです。本当にありがとう。




IMG_5527s.jpg
 そして、我らが聖地、上野駅13番線ホームはもとの静けさを取り戻します。
 先ほどまでは青い機関車と青い客車が止まっていたはずですが、もうその賑わいもありません。
 寂しいですが、これが列車旅というものです。

 ここで皆さんで固い握手。職業も年齢も出身もバラバラですが、一つだけ「国鉄」という趣味だけが一緒の面々。これだけうまい酒が2日間ずっと呑みつづけられたと言う事は、一生モノの友達ということなのでしょう。私にとって見れば人生の大先輩ばかりですが、この集まりばかりは失礼ながら「友達」と呼ばせてもらいたい。ここまでご覧頂いた方なら分かってもらえるはずです。

IMG_5528s.jpg 最後の〆は上野駅で。

 上り列車はずいぶんと駆け足でお送りしましたが、実際の時間感覚だと上りはとんでもなく早かったような気がします。単純に寝ていた時間が多かったというのもありますが、それ以上に徐々に少なくなっていく上野駅までの時間が余計に時計が早く回っていたと感じさせていたのでしょう。このブログでもそうした空気を感じ取っていただければ幸いです。
 それくらいに楽しい旅でした。こんな楽しい旅はもう一生無いかもしれません。
 こんなありきたりな言葉でしか言い表せませんが、ご一緒した8名の方、惜しくもお留守番になってしまった井堀倶楽部メンバー。そしてSEKKIさんのご家族に青森で触れ合った方、それにJRや八甲田丸の職員の方々など、たくさんの方のお力添えあってのことです。ありがとうございました。

 上野駅を充分堪能した後、家路に就きました。


 これにて了。

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2012'11.29.Thu
IMG_5319s.jpg そろそろということで、青森駅を出ることにした一行。国鉄時代の上野口好きが集まった面々ですから、当然この後も国鉄ゆかりの施設に向かうことになります。もうどこかはお分かりですよね。
 こちらは青森駅に止まっていた北斗星用のEF510。今まで、最近製造される車両ってのは鉄道車両としての風格が無くてカッコ悪いと思っていたんですが、この北斗星用のEF510はなかなかどうしてカッコいいと思っています。赤いEF81の牽く北斗星よりも、なんとなくこちらのほうがしっくりきてしまうのは気のせいでしょうかね?
 なんにせよ、北斗星の模型を手に入れる機会があれば是非とも欲しい1両です・・・・・・・・・いやいやまさか、HOなんかに手を出そうなんて思ってませんよ・・・・・・本当ですよ?(^^;

IMG_5341s.jpg コインロッカーに荷物を預け、かつての車両搬入口とともに保存されている八甲田丸を見に行くことにします。
 船だけでも保存するのは大変だと思われますが、この車両搬入のための桟橋をモニュメント的に残したことも、この街が青函連絡船をどれだけ誇りに思っていたかが分かるというものです。
 かつてどれだけのワムやトラ、そして「北東航」の札が挿されたマニやオユたちがここの桟橋のジョイントを響かせたことでしょう。このモニュメントは、青函連絡船が単なる船ではなかったことを如実に示すものとして、後世に伝えるべきと思います。

defb53b9.jpeg 幾度と無く通り超えた陸奥湾を眺めながら、何度と無く荒波を潜り抜けた難航路、津軽海峡をその先に見据える八甲田丸。
 第一線の花形で、腕自慢の益荒男で鳴らしたこの船も、今や在宅介護サービスを受けるおじいちゃん、というところになるでしょうか。
 それでもまだかつての海を見守り続ける、そういう気概が衰えてもなおこの船からは感じられます。
 時代の生き証人です。本当に大事にして欲しいと思います。

bde6820d.jpeg 中に入ってみます。
 かつての船室には昭和の青森を再現した展示が並びます。それはそれでよかったのですが、雑魚寝席(笑)を一区画でもいいので残して欲しかったな、とは思いました。
 操舵室の中にも入れます。船長気分で望遠鏡を覗くひさしさん。かつて乗組員だった方から直接、機器類ひとつひとつに至るまで解説をつけてくださり、一緒にいたまさるさんと共に感心しきりでした。
 まさるさんが羽織っていた東京「喜多」鉄道管理局のドカジャンを「東京『北』鉄道管理局って、あれかい?」と、その方が聞いていたのが印象的でした。やはり、当時にとっては重要な響きだったのですね。

IMG_5389s.jpg どでかく描かれたJNRの文字。色は赤とクリーム、または紺とクリームの違いはありますが、この文字に象徴される国鉄の誇りはまだ輝きを失っていません。
 JRになってからも少しの間青函連絡船は運航されていて、その間はJRマークを掲げて走ったはずですが、やはりこの船にはこのマークが一番似合います。誇りですからね。

IMG_5400s.jpg さて、車両甲板に下りてみます。
 船の科学館にあった羊蹄丸の中に入れなくなった後は、車両甲板が見られるのも全国でここだけになりました。函館の摩周丸はアスベスト問題で入れませんからね。
 それにしても狭いスペースです。よくぞここまで入れ込んだなあ、というのが正直な感想です。

ae6219e9.jpeg 私が見たかったのはなんといってもこれ。キハ82です。
 キハ181もそうなのですが、この時期の特急車のデザインのなんと美しいことか。丸みを帯びた、それでいて機能も損なわない先頭部のデザインはまだまだ見習わなければならないと思います。
 サビが浮いていたり特急のエンブレムがなくなっていたりと、状態は悪そうに見えますが、内部(内部がチラッと見えるのですが、これがもう完璧でした。鉄道博物館所蔵車などにも国鉄時代そのままと思います)の様子などを見るに状態はいいほうであると思います。再塗装は厳しいところに置いてあるとは思いますが、是非とも整備を行って欲しいものです。


IMG_5417s.jpg 青函連絡船を語る上で忘れちゃいけないのがこの車両。控車のヒ600です。
 貨車を連絡船に積み込む際に、当然入換用のDD13やDE10に押されてソロソロと車両甲板に入っていくわけですが、機関車は重いので船の中には入れません。そこで、船との間をこの控車で長さを稼いでいたわけですね。
 余談ですが、ここで展示されている車両にDD16がありますが、青森駅や函館駅で入換を行っていたのってDD13かDE10じゃなかったでしたっけ? DD16が入換をしているのは見たことが無いのですが・・・。北のDD16といえば、各地に散らばってそこそこの活躍をしており、近年は苗穂工場での入換機が有名でしたが、連絡線の入換を行った記録は見当たりません。このあたりはよくわからないところです。保存されている31号機も、五稜郭区にあって瀬棚線の運用に就いていたカマのようですし。

IMG_5398s.jpg 船の船首部分で見つけたものですが、これは面白い。
 想像でしかありませんが、据え置きの連結器が備え付けられていて、ここに貨車を繋げた後、下にあるホースを貨車のブレーキホースに繋いで、空気ブレーキを航送中にもかけておけるようにするもののようです。右にあるハンドルがブレーキ弁で、左の計器が空気圧を示すものでしょうね。 
 車両ごとにリンクとボルトで船体に固定していましたが、どうやら編成全体もこれで固定していたようですね。

DSCN4642s.jpg 八甲田丸を堪能していたらもうお昼の時間です。いきなりで恐縮ですが、これが我々のお昼ご飯。
 青森魚菜センターののっけ丼です。まあ細かいシステムはお店のサイトに書かれていますので、ここではレポートのみということで。
 当たり前の感想になってしまいますが、やはりそこは津軽海峡。どの刺身もうまいうまい。おかげで、味噌汁を買おうとしていたのに足りなくて、余計に払ってしまいました(^^;(右下に見えているのがおつりです
 刺身もあれば乾物、それに蒸したエビ・カニなどもあり、更にはしおからなどもありました。あーでもないこーでもないと悩んでいるうちに、皆さん食べ終わってしまったらしく外で一服されていました。お待たせしてしまってすみません(^^;

IMG_5424.jpg その後は会場を再び八甲田丸の前に移して、アオモリ横断ウルトラクイズの決勝戦です。決勝戦に進んだのはなるさんとひさしさん。そして司会のトメさん・・・・・・じゃなかった、mattunさん。
 いろいろとこねくり回して話を作ることは出来ますが、やはりこの模様は是非とも映像で見て欲しい(笑) 見ている側も(というか見ている側のほうが?)楽しい決勝戦でした。
 ちなみに勝者のなるさんは、TOMYTECの101系京浜東北線方向幕をゲット。あのシリーズ、ちょくちょく欲しいものが出るんですけど、なかなかお金が回せないんですよねえ。


 この後は、予定通りあおもりまちなか温泉という銭湯に。
 以前北海道に行ったときに、旅先での風呂は気持ちいいと記しましたが、特別温泉宿などにとまらないのならば風呂の行程は入れるべきだと痛感しました。
 もう一夜を共に過ごした(?)仲間であるわけですから、そんな仲間とゆったり風呂に入るのだからこれ以上の贅沢はありません。SEKKIさんに背中を流してもらう(若輩なのにスミマセン)場面もあったり、ちょっと缶ジュースを買いに行ったらなるさんが軽食コーナーでビールを頼んでいるし(その後、皆さん呑まれたようです(^^;)、いろいろと印象深いお風呂になりました。

 さて、ゆっくりしていたら時間はもう4時半です。いそいそとまちなか温泉を出て、青森駅に戻ります。
 ここでよもやの雨。八甲田丸の写真でも分かるように、あんなに快晴だったのに、です。そんな雨の中を、買出し班のSEKKIさんたちが駆け出していきます。
 えっ、何を買い出すかって? そんなの決まってるじゃないですかあ。

 だって、帰りもあけぼのに乗るんですよ!

 第五部に続く



 

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2012'11.21.Wed
DSCN4624s.jpg さて翌朝、携帯のアラームで予定通り秋田の手前で起床。
 起きておられた方もいらっしゃるようですが、日の出の瞬間は爆睡しておりました(^^; 試験前は徹夜だと相場は決まっているのです(意味不明
 既に車窓には日本海が見えておりますが、以前に見たときよりもずいぶんと波は穏やかなようです。これは青森での天気も期待できそうですね。

 と、ここでまもさんから入電。「SEKKIさんに連絡してるんですが帰ってこないんです」とのこと。後で聞いたところ、どうやらトリップしてて気づいてらっしゃらなかったようです(^^;

DSCN4636s.jpg 私の寝床であるBソロから、ほかの皆さんが就寝なさった(かどうかは知りませんが(^^;)B寝台に戻ってみます。
 前日の宴からは打って変わってのまったりモード。もうすぐ青森ということで、旅の余韻というものでしょうか。こういうのも夜行列車の醍醐味のひとつですね。
 手前3列がツアー同行の方々の寝床のはずですが、果たしてベッドメイクしなかった不届きものはどなたですかね・・・・・・(^^;






DSCN4631s.jpg そんなこんなで朝ごはんです。
 実はこのあけぼのという列車、高崎を過ぎると目立った長時間営業停車というのが無いのです。ですから、朝食の確保は上野で行わなければならないというわけです。
 普通はコンビニおにぎりが妥当なところですが、しかし、今回の朝食はmattunさんが発見した花善さんの鶏めし! なんとも豪勢な朝食です。さて中身は・・・・・・

DSCN4633s.jpg じゃーん! 実にウマそうですね・・・。
 食べてみた感想としては、これが実にウマい。駅弁であることを考えると、850円でこのボリュームは全く買って損はありませんね。
 しかも、なんと大館駅のホーム上で受け取ることができれば、出来立ての暖かいまま持ってきてくれます。これはうれしい。
 あ、今回はmattunさんに全てお任せしてしまったのですが、花善さんの駅弁を受け取るには色々と条件があるようですので、そこのところは各自確認でよろしくお願いします。

DSCN4637s.jpg さて、そんなこんなで青森についてしまった(←ここ重要)我々。皆さん口々に「もっと乗っていたかった・・・」。私もです(^^;








IMG_5294s.jpg ここまで牽いてきたEF81もご苦労さんでした。
 はまなすのときもそうでしたが、やはり青森駅ではすぐに機関車を解放してしまう様子。撮影する方は気をつけるとよろしいかと思います。


IMG_5318s.jpg そのあとは急いで反対側にも回ってDE10もパチリ。
 そうそう、カマ当てクイズはこの入れ替えDEでも実施されているのです。



27fdcfc5.jpeg 当然というか恒例となったあのカタチの箱を開ける、今回の勝者なるさん。
 聞けば模型は昔かじったっきりやっていないそうですが、しかし周りからは「復活しなよー、待ってるからー」の声が多数。
 なるさんいけません、ここから先は修羅の道ですぜ。

 そして同時に、アオモリ横断ウルトラクイズのペーパーテストの結果発表もありました。リアル世代の方々にかなわないのは当たり前ですが、なんとかnoto92さんをかわしてブービー賞に滑り込みました。伊達に水曜どうでしょうを見ているわけではございません(意味不明



c2f79595.jpeg その後は快晴の青森駅ですがすがしい潮風を浴びながらまったりする一同。
 そんななか一人がこんなものを発見すると、どこからともなくツアーメンバーが集まって「うおー、すげー」「残ってるのかー」の大合唱。喫煙所が近くにあったのですが、一服中のお客様にとってはさぞ不気味な集団に思えたことでしょう。
 青函トンネルが出来る前の青森駅には、青函連絡船が発着していたわけですが、列車を降りて連絡船へ向かう直通の通路がホーム上にあったんですね。俗に言う青森ダッシュというやつです。
IMG_5331s.jpg あっ、なるさんが走って行ってしまいました。いくら夜行列車で青森に着いたからって、青函連絡船は来ないですよー!

 って、行っちゃったし・・・・・・。




DSCN4638s.jpg 行ってしまったなるさんは仕方ないのでそのままにして(^^;)、そのほかの一同は青森駅を出ての散策と相成りました。
 最後はお馴染みの場所から。かつて雪まみれの485や583の写真が多く撮られたところですね。今ではホーム全てが埋まることはもうないですが、全ての番線、それもそれぞれのホームギリギリまで車両が詰まっていた時代があったわけですが、それを象徴するポイントがここのアングルだと思っています。かつては、写真いっぱいに写真の一番奥までごちゃごちゃした交流機器が並んだことと思います。



 第四部に続く
 

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