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豚汁模型!

鉄道模型のごった煮をゆるくほそぼそ楽しむブログ

2024'04.19.Fri
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2020'12.31.Thu
前回からのつづきです。
 眠気を抑えながら午前5時半に大阪駅に向かいます。

 乗車するのは5:55発の福知山線福知山行き。福知山までこれで行くのですが、そもそも福知山だったら京都に泊まって京都から山陰本線で向かえばよさそうな話です。しかし、どうしても大阪に泊まる必要がありました。なぜなら、この5:55発の福知山行きが京都か大阪から向かううえでいちばん早くに福知山に到着するからです。
(福知山に宿泊することも考えたんですが、新幹線往復+同じ宿に二泊のパックツアーで旅費を浮かせたため、福知山に二泊してしまうと二泊目の行程がきついため、ギリギリ旅程が上手くいく大阪泊となりました)
 で、当然ながら各駅停車でとんでもない時間をかけながら福知山に到着。そこから10分で乗り換えのバスに乗車します。コンビニに行く暇もありません。

 福知山からは丹海バスで天橋立行きに乗ります。このバスは日に3往復なのですが、この朝の便を逃すと昼過ぎまで無いため、どうしてもこのバスに間に合わせる必要がありました。
 目的地は公共交通に乏しいところにあるためレンタカーも考えたのですが、このバスがあったおかげで余計な出費をせずに助かりました。バス様様です。
 そして、福知山から天橋立方面ということで、ピンときそうな方もいらっしゃると思いますが、赴いたのはこちらです。

 現時点では閉園している加悦SL広場、この時点ではなんとかギリギリ間に合ったというタイミングでした。
 ここにしかない貴重な車両たちが保存されている場所として、行かなければいけない場所筆頭ではあったのですが、公共交通希薄地帯にあるためになかなか足が向きませんでした。そこにきて突然の閉園の報せが届き、あわてて今回の旅を企画したというわけです。というわけで、メインイベントのはじまりです。

 旧加悦駅舎である資料館を抜けるとすぐにこの光景です。目の前には夢にまで見た光景が広がっています。
 ここにある車両はどれも貴重なものばかりですが、すべて紹介していると大変ですので、ここにしかないものを中心にご紹介します。

 重文にもなった2号機関車。国内で残っているものとしては3番目に古いものと言えるでしょう。シンプルなフォルムが黎明期の機関車であることを伝えます。

 反対側の写真は逆光で使い物にならないので、こちら側から。1261号機は簸上(ひかみ)鉄道(木次線の前身)からの譲渡車で、2号機も同じく簸上鉄道からやってきました。昭和初期の日車の小型機関車で、同型車や準同型車もそこそこの数が存在したよう。

 4号機は河東鉄道(長野電鉄の前身)からやってきた車両で、川崎造船製。空気制動の装置が物々しい機関車で、昔から好きな機関車のひとつでした。

 我が国に本当に唯一残った、ヨーロッパ式の多扉客車、ハ4995号。復元客車は何両かあるものの、イギリス式ではじまった鉄道黎明期の姿をそのままに伝える車両はここだけのものです。その実態は、車体が長く倉庫として使われていたものを復元したもので、倉庫になっていた車体部分と、廃車になった同型の単車の台車部分を組み合わせたもので、本当のオリジナルと言うわけではないようです。しかし上回りはまさしく本物で、これだけでも見る価値のあるものです。

 この客車、なんと中に入れます。屋根アーチの木工の美しさと言ったらありません。

 デッキ付き、そして荷室付きという可愛らしい客車、ハブ3です。この客車もファンの多い1両です。
 九州鉄道出自とかいろいろと説はあったようですが、最近では明治23年に讃岐鉄道が発注したドイツはヴァンデルチーベン製のものが流れに流れて加悦にやってきた、というのが真相のようです。

 大勢力を誇ったホハ22000の一党が1両も保存されなかった今となっては、ナロー以外では国内唯一の木造「ボギー」客車、ハ10です。これでも加悦鉄道では大型の客車でした。
 なお、これ以外にも2両、木造客車がいるはずですが、この日は見当たらず。作業所内も見たんですが、それらしい客車はおらず、どこかに搬出されたか、もしくは作業庫内にいたのでしょうか。いずれも与謝野町の指定文化財ですので、解体されたということは無いはずですが。。。
 いずれにせよ、再公開の暁にはもう一度加悦の地へ赴かなければならないでしょう。

 バケット付きの古めかしいスタイルは、キハ101です。現存唯一の片ボギー車(技術的な問題でボギー台車を駆動させず、単軸台車にエンジンから力を加えるプロペラシャフトを繋いだ車両)ということで、我が国の気動車史を語る上で必ず出てくる車両です。

 キハユニ51は、芸備線の前身にあたる芸備鉄道を買収した際に一緒に買収された買収気動車です。芸備鉄道とおとなりの中国鉄道は優秀車を多数抱えていたこともあり、全国に散らばって活躍しましたが、現存はこの1両。黎明期のディーゼルカーとして貴重な1両です。

 キハ08は客車を改造することにより制作費の低減を狙った気動車として作られましたが、あまり効果がなく終わりました。製作数が少ないこともあり、当然現存はこの1両のみです。

 森製作所というメーカーが戦前に存在しました。古くなった蒸気機関車の台枠を再利用してディーゼル機関車を作るという変わったメーカーで、趣味者のあいだでは知られた存在でしたが、その森製作所製造の機関車も現存はこの1両、DB201のみです。ちなみにこのDB201は下回りも完全新造で作られたよう。

 ワフ3、これも貴重な木造ワフです。名鉄の保存車なきあとは、ナロー以外の木造ワフだと栗原のものと本車のみのはずです。

 加悦鉄道で活躍した車両以外の車両も置いてありますが、その中でもこのヨ2047は現存唯一のヨ2000としてとても貴重です。貨車は代替速度が速く、戦前製のヨ2000は国鉄の車掌車廃止まで残ったものはほんのわずかのはずです。

 とまあこんなところで、これ以外においてある車両も含めて、どれも貴重な車両ばかりです。できれば全車救ってあげてほしいものですが、何とかならないものでしょうか。寄付先とかあればいいと思いますけどもね。



 加悦SL広場の見学後は、再びバスに乗り込みますが、今度は直接福知山に抜けるのではなく日本海側に抜けます(福知山直通便は、いい時間帯のバスがなかったのです)。そして京都丹後鉄道を乗り継いで福知山に戻ります。
 この時点で日没は間近、しかも福知山線の接続が上手くいかずに待ちぼうけ。というわけでそのまま福知山線で大阪に帰ったところで2日目は終了です。

つづく

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2020'12.30.Wed
今年ももう終わり、というか来年が始まりそうなので、ここいらで面倒でまとめていなかった旅の日記でもつけておこうと思います。これ以上ほっぽらかしておくと忘れそうですし。
 というわけではじめますが、今年の3月とかいう、もうすぐ1年になろうかという旅ですので、現時点で忘れていることも多いため、ダイジェスト的に行きます。

 まず降り立ったのは京都駅。関西を旅するのは2年ぶりのことです。2年前の関西旅もブログにしてない気がする(駄目


 いろいろ使って叡山電鉄の出町柳へ。京都駅から行こうとすると乗り換え乗り換えでめんどくさいですね。小さいながらも立派な頭端ホームを持つ素敵な駅です。
 叡山電車の電車、好きなんですよね。小さくて模型的で。

 きらら、KATOの模型を何度買おうとしたか。。。鉄コレも買いそうになりましたが、高いんですもの。。。
 それはともかくとして、車庫のある修学院で下車。

 あいにくの小雨で傘を差しながら車庫を探索。少なくなった電動貨車も在籍しています。コンパクトにまとまっていて楽しい車庫です。
 ちなみに修学院は数多くのアニメの聖地になっているようですが、聖地巡礼にはあんまり興味ないのでスルー。一応「ここかー」なんて見てきましたが。

 昼食は天下一品。チェーン店の写真をわざわざ上げたかと言うと、ここが天下一品の総本店なんですってね。まあアニメではないですが聖地巡礼と言うやつです。味は一緒ですけど。

 まずは都合よくやってきた電車で鞍馬へ。寺社建築風の重厚な駅です。がらんとしていますが、紅葉や盆暮れにはたくさんの人でにぎわうことでしょう。天狗の装飾も独特です。

 手軽に沿線風景を、ということで貴船口で下車。駅のすぐ脇が鉄橋なので、撮影しやすい駅です。デオ800と言いましたか、この電車もきららの陰に隠れがちですが、小さくまとまったデザインで好きな電車です。


 支線的な扱いの八瀬比叡山口駅にも赴きます。今や少なくなったホーム部分に屋根のかけられた駅で、とても好きな駅の一つです。くし形のホームであるところもいいですね。

 大阪駅の近くに宿を取っていますので京阪に乗りますが、その前に時間があるので車庫を二つ訪問。上は石山坂本線の錦織車庫。下は京津線の四宮車庫です。
 四宮車庫、昔は検査機能も持った立派な車庫があったのですが、京津線が地下鉄に乗り入れた関係で、今では留置線のみになっていて寂しい限りです。



 せっかく石山坂本線まで来たので、浜大津の豪快な風景も見てきました。路面区間を4両編成が車体をくねらせながら行く姿は迫力のあるものでした。この旧塗装、このあとすぐに塗り替えられたんですってね。貴重な記録になりました。

 四宮駅からほど近い湖西線の超有名ポイントにもついでに来訪。113系が来ないかなと待っては見ましたが一向に来ず、ここで日没タイムアップ。おとなしく大阪に向かうことにしました。
 そのあとは模型屋にいったりしてすごした後、二日目となりました。今回のメインは二日目で、相当な早起きが必要です。いつもなら場末の居酒屋で飲んだくれているところですが、今回は少し早めに就寝しました。

つづく

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2019'05.06.Mon
もう書くことも辛いのですが、言及しておこうと思います。こんなつまらないことを文章にしたくもないのですが。
ここのところ、地方私鉄の保存車が解体、もしくは解体が決定するということが相次いでいます。
近江鉄道の電気機関車「無償譲渡」も検討…解体予定の10両(近江鉄道)
『鉄道車両公園』のリニューアルについて(秩父鉄道)
旧信濃川田駅の車両撤去へ 計画見直しで4両解体(長野電鉄)
151・701・1051号引退のお知らせ(長崎電気軌道)
https://twitter.com/irucakoto/status/1124943031235334144(ことでん)

自分に何かできれば、あるいはどこかに怒りをぶつけられればいいのですが、すべては経済の停滞、地方の衰退、人口の減衰が招いたことで、どこにどう気持ちをぶつけていいのかわかりません。ましてや、鉄道会社に怒りをぶつけてどうにかなるとか、そういう問題でも勿論ありません。時代の流れとともに古い車両が代替わりしていくことは自然なことなので諦めもつきますが、これらはそういうことではありませんよね。日々辛いことが多い中、楽しい趣味の世界でまで、現実を見せつけられたくはなかった。文章にして吐き出すくらいしか、私にはできそうもありません。
そろそろこの趣味も仕舞いどきかもしれません。模型に関しては当分続けるでしょうが、少なくとも実物方面に関しては、まだ訪れていない地方私鉄をまわったら、数年のうちに店じまいをするつもりです。





レイアウトのほうは着々と進んでいます。記事はしばしお待ちを。

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2016'10.30.Sun
大好きな電車がそろそろ終焉ということで、大事にならないうちに撮影してきました。人ごみは苦手ですからね。

 東武8000、まだまだ活躍している両数は多いものの、先が見えてきています。東武では、このほど新しい特急の概要が出ましたし、先の見えた300・350系と6050系を撮っておかなければいけませんね。
 この日は60000系で運転される列車がかなりあり、ずいぶんと増えたような気がしました。野田線ももう8000系の天国ではないのですね。


 もう一つ、こちらも大好きな電車です。置き換え計画が発表され、私としてももう最後ということで、高崎駅にずいぶんと長い時間滞在しました。
 宇都宮線在住の私は、小山電車区の300番台を身近すぎて撮らなかったことを今も後悔し続けています。高崎の1000番台は、これで見納めでも後悔することはもうないでしょう。

 てっきり107系は全て運用離脱したと思っていたのですが、勘違いでした。この日見ただけでも3運用で107系が使われていました。この6連はオール前期型ですかね?
 あまり乗る機会はなかったですが、立ち寄った小山でずいぶん見ましたっけ。こちらもこれで見納めでしょう。


 好きな電車がどんどんいなくなってしまいさびしい限りですが、仕方ありません。しっかりとその光景を目に焼き付けて、家路に就きました。

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2016'05.31.Tue
お久しぶりです、なんていう枕詞を使わないくらいに更新をしたいと思ってはいるのですが、なかなかうまくいかないものです。
 というわけでお久しぶりです。4月の末に行われた上毛電鉄の大胡車庫でのイベントに行ってきたので、覚書でも書いておこうと思います。

 最近は興味を引く魅力的な電車も少なくなってきたので、撮影目的で出かけることも少なくなりました。というわけで、そろそろ去就が黄信号な車両を出かけついでにちまちまと撮影。


 具体的な発表はまだないですが、両者ともそろそろ何かしらの発表があるでしょう。ちなみに下の115系は、現状では2本しかないサハ組み込み編成のようです。


 さて、上の115系に乗って着いた先は桐生です。そこから上毛電鉄の発着する西桐生に乗り換えるには歩くことになるのですが、これが歩いてものの5分程度。これだけの距離ですから国鉄駅に隣接した立地に出来なかったのかとは思いますが、おそらくかつての繁華街はこちらにあったのでしょう。地方私鉄の駅の立地としてはよくあることです。
 西桐生のプラットホームに入ると、出迎えてくれたのは元京王3000形。2両編成が大変好ましく、この車両が似合うレイアウトを作ってやりたくなります。

 のどかな沿線風景に見惚れつつ電車に揺られ、大胡駅に到着。コンパクトにまとまっていますが、駅員配置駅としての機能は過不足なく整っている姿が何とも好ましい駅です。
 さて、このまま車庫を見に行ってもいいのですが、どうやら目当ての電車が来る時間までそうないようですので、駅の周辺を色々と探索します。
 
 大胡駅は今や貴重になった構内踏切のある駅で、車庫や線路関係の建物も含め、小レイアウトの見本としてはまさにうってつけです。

 おそらく現存はこれともう3台(東武博物館に1台と、花巻市に2台)という雨宮製作所製の電車用台車が側線に無造作に置かれていましたが、いいんでしょうかね? 上毛電鉄が客寄せ保存のためにわざわざ引き取ったものと記憶しますが、隣にある、これも無造作に置いてある東武5700系用の台車とともに、今後の処遇が気になります。

 そうこうしているうちに、お目当ての電車がやってきました。2016年現在で御年88歳という超長寿のデハ101です。このクラスの電車で動けるのは、もはや一畑電鉄(あえてこの名称でw)のデハニ50と琴電の旧型車と、あとはこの電車しか無いのではないでしょうか。そしてこの電車がすごいのは、イベント時や貸切列車のみとはいえ、営業線上で乗車できるということです。邪魔者(失礼!)がおらず自分の走りだけに集中できる動態保存車とは違い、ほかの列車の邪魔にならぬよう、それなりの速度で走らねばならない営業線での運転は大変に貴重で、もはや国内で乗れるのはここだけなのではないでしょうか。
 もちろんここで乗ることもできるのですが、ここでは撮影するだけにとどめ、車庫に向かうことにしました。

 今回訪れた最大の目的は、この車庫をじっくり見学すること。現在所持している鉄コレや、密かに進む大きい模型の購入計画から察するに、これくらいの規模の車庫モジュールが欲しくなることは明確ですので、それらの参考にすべく以前から注目していた車庫なのでした。

 登録有形文化財にも指定されたこの木造車庫、舐めまわすように(^^;)いろいろ見てきました。

 模型の参考になるようにと、カメラのフラッシュを使いまくったためにこの車庫だけでバッテリー1つ使い切ってしまうくらい、膨大な枚数の写真を撮りました。全て掲載するわけにもいかないので、私視点で面白いと思ったものをいくつかご紹介。

 現役ではないようですが、昔ながらのベルトで連動するタイプの旋盤加工室が残されており、見学者は自由に中を見ることができます
 
 加工室のメイン機械である旋盤です。これもベルトで伝えられた動力によって動きます。旋盤は金属のねじ切りや表面削りを行うものですから、車輪の転削などがこの機械室で行われたのでしょうか。

 こんなものも見つけました。おそらく、下にある箱の中にくず鉄を入れて、上にある空気圧で作動するタイプのシリンダーで押し付けて、くず鉄をぺしゃんこにするものと思います。注目すべきはシリンダーの形状で、これ、台車にくっついているブレーキシリンダーではないでしょうか。鉄道の修理工場ならではの再利用品ですね。

 さて、工場設備だけでは飽きてしまいますから、ここからは車両です。こちらは先ほどのデハ101と同形式のデハ104です。デハ101とともに残された旧型車で、デハ101とは違い黄色をまといます。上毛電鉄は1980年代に西武の旧型車に統一されて雑多な旧来からの車両は一掃されるのですが、それまでの車両がまとっていたのがこの黄色です。この2両が残されたのは、かつて三俣駅にあった製油所への貨物輸送があったためで、電気機関車を保有していなかった上毛電鉄は、小回りが利いたデハ100型を貨物輸送用として2両だけ残したのでした。電気機関車を保有しておらず、やむを得ず残したこの2両が、現代では観光資源になるのだから面白いですね。

 先ほど「上毛電鉄は電気機関車を保有していない」と言ったばかりですが、電気機関車の紹介をします。といっても、客寄せ保存目的で東急から譲渡された機関車なので、上毛電鉄とは関係のない車両です。
 1926年に川崎車両で製造されたデキ3021です。上のデハ100型が同じく川崎車両で1928年に製造された車両ですから、同郷の車両が80年の時を超えて出会ったことになりますね。
 川崎車両ではこの車を標準車として各私鉄に売り込みたかったらしく、同型車として山形交通や伊勢電(後に名鉄に買収)の車両があります。もっとも、そのころの主流であったウエスチングハウス製や、ウエスチングハウス製の機関車を国内でコピーした車両ほどには普及しなかったようです。
 実車は長く東急唯一の機関車として主に工場内の入れ替えに活躍していましたが、2009年についに用途を失って解体の運命にあった所を、上毛電鉄に救われる形でこの大胡にやってきました。
 車籍がないので本線運転はできませんが、構内での運転は可能で、イベント時などでは元気に動いているようです。この日も乗車体験などで構内を行ったり来たりしていました。

 この貨車も上毛電鉄とはあまり関係のない貨車です。東武鉄道テ200形テ241です。
 形式が示す「テ」は鉄製有蓋車の印であり、このカテゴリーは湿気を嫌う荷物を運ぶために作られた車両で、主に袋詰めセメントの輸送用として使用されました。葛生など多くの石灰石鉱山を沿線に持っていた東武や、西武鉄道、秩父鉄道、上信電鉄などにゆかりのある貨車で、養蚕で栄えた上毛電鉄にはあまり縁のない車両です。
 やがてセメントの輸送が袋詰めではなく、ホッパ車などで直接運ぶ方法が主流になるとあまり使用されることはなくなり、この車も東武野田線の七光台車庫で工事用兼倉庫として残されていたものでした。
 やがて上記のデキ3021が上毛にやってくる際に一緒にやってきた車両で、電気機関車の相方が欲しかったのでしょうか。いずれにせよ、消えていく運命にあった車両が残されたのは意義があることですね。

 さて、車庫の話はこれくらいにして、いよいよデハ101に乗り込みます。

 大胡駅に滑り込んでくる古老。イベント時のみとはいえ、乗車区間の切符を持ってさえいれば、営業運転ならではの本気の吊りかけサウンドを体験することができるのです。これは本当にすばらしいことです。

 車内の雰囲気も大変に素晴らしい。白熱灯に照らされた木目の麗しい車内に響き渡る吊り掛け電車特有のモーター音と、「パスパスパスパス」という頼りないコンプレッサー音。「タイムスリップしたような」という言葉はよく使われますが、本当に当時そのままで、感動しきりでした。スマホに車内の音も入った動画を撮ったので、いずれYoutubeかどこかにアップしようと思っています。

 デハ101は中央前橋に滑り込みます。この駅も国鉄駅から離れて建設されました。小私鉄らしくこじんまりとしていながらも、地域の私鉄の終端駅としての風格は充分にあり、前から好きな駅でしたが、訪れてみてもっと気に入りました。

 中央前橋は川沿いにある駅なのですが、その川と駅のバランスが絶妙で、大胡駅だけでなくこういう駅もレイアウトに取り入れたくなります。いい駅です。
 折り返しのデハ101に乗ることもありあまり見る時間が取れなかったので、次回は駅目当てで訪れたいところです。そういえば、福島交通の飯坂温泉も川沿いの終端駅として好きな駅で、一度訪れてみたいですね。


 さて、帰りもデハ101に乗って、そのまま西桐生まで行きたいところですが、大胡に入庫してしまうので、やむなく大胡で降りて後続の普通列車に乗り換え、上毛電鉄を後にしました。
 上毛電鉄は以前から伺うチャンスをうかがっていたのですが、予想以上に素晴らしいものでいっぱいで、もっと早くに訪れておくべきでした。また機会があれば行きたいと思います。


 帰宅時も去就が心配される車両を記録しながら、家路につきました。

 ここまでご覧いただきありがとうございました。それではまた(^^)ノ

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