2020'12.31.Thu
前回からのつづきです。
眠気を抑えながら午前5時半に大阪駅に向かいます。
乗車するのは5:55発の福知山線福知山行き。福知山までこれで行くのですが、そもそも福知山だったら京都に泊まって京都から山陰本線で向かえばよさそうな話です。しかし、どうしても大阪に泊まる必要がありました。なぜなら、この5:55発の福知山行きが京都か大阪から向かううえでいちばん早くに福知山に到着するからです。
(福知山に宿泊することも考えたんですが、新幹線往復+同じ宿に二泊のパックツアーで旅費を浮かせたため、福知山に二泊してしまうと二泊目の行程がきついため、ギリギリ旅程が上手くいく大阪泊となりました)
で、当然ながら各駅停車でとんでもない時間をかけながら福知山に到着。そこから10分で乗り換えのバスに乗車します。コンビニに行く暇もありません。
福知山からは丹海バスで天橋立行きに乗ります。このバスは日に3往復なのですが、この朝の便を逃すと昼過ぎまで無いため、どうしてもこのバスに間に合わせる必要がありました。
目的地は公共交通に乏しいところにあるためレンタカーも考えたのですが、このバスがあったおかげで余計な出費をせずに助かりました。バス様様です。
そして、福知山から天橋立方面ということで、ピンときそうな方もいらっしゃると思いますが、赴いたのはこちらです。
現時点では閉園している加悦SL広場、この時点ではなんとかギリギリ間に合ったというタイミングでした。
ここにしかない貴重な車両たちが保存されている場所として、行かなければいけない場所筆頭ではあったのですが、公共交通希薄地帯にあるためになかなか足が向きませんでした。そこにきて突然の閉園の報せが届き、あわてて今回の旅を企画したというわけです。というわけで、メインイベントのはじまりです。
旧加悦駅舎である資料館を抜けるとすぐにこの光景です。目の前には夢にまで見た光景が広がっています。
ここにある車両はどれも貴重なものばかりですが、すべて紹介していると大変ですので、ここにしかないものを中心にご紹介します。
重文にもなった2号機関車。国内で残っているものとしては3番目に古いものと言えるでしょう。シンプルなフォルムが黎明期の機関車であることを伝えます。
反対側の写真は逆光で使い物にならないので、こちら側から。1261号機は簸上(ひかみ)鉄道(木次線の前身)からの譲渡車で、2号機も同じく簸上鉄道からやってきました。昭和初期の日車の小型機関車で、同型車や準同型車もそこそこの数が存在したよう。
4号機は河東鉄道(長野電鉄の前身)からやってきた車両で、川崎造船製。空気制動の装置が物々しい機関車で、昔から好きな機関車のひとつでした。
我が国に本当に唯一残った、ヨーロッパ式の多扉客車、ハ4995号。復元客車は何両かあるものの、イギリス式ではじまった鉄道黎明期の姿をそのままに伝える車両はここだけのものです。その実態は、車体が長く倉庫として使われていたものを復元したもので、倉庫になっていた車体部分と、廃車になった同型の単車の台車部分を組み合わせたもので、本当のオリジナルと言うわけではないようです。しかし上回りはまさしく本物で、これだけでも見る価値のあるものです。
この客車、なんと中に入れます。屋根アーチの木工の美しさと言ったらありません。
デッキ付き、そして荷室付きという可愛らしい客車、ハブ3です。この客車もファンの多い1両です。
九州鉄道出自とかいろいろと説はあったようですが、最近では明治23年に讃岐鉄道が発注したドイツはヴァンデルチーベン製のものが流れに流れて加悦にやってきた、というのが真相のようです。
大勢力を誇ったホハ22000の一党が1両も保存されなかった今となっては、ナロー以外では国内唯一の木造「ボギー」客車、ハ10です。これでも加悦鉄道では大型の客車でした。
なお、これ以外にも2両、木造客車がいるはずですが、この日は見当たらず。作業所内も見たんですが、それらしい客車はおらず、どこかに搬出されたか、もしくは作業庫内にいたのでしょうか。いずれも与謝野町の指定文化財ですので、解体されたということは無いはずですが。。。
いずれにせよ、再公開の暁にはもう一度加悦の地へ赴かなければならないでしょう。
バケット付きの古めかしいスタイルは、キハ101です。現存唯一の片ボギー車(技術的な問題でボギー台車を駆動させず、単軸台車にエンジンから力を加えるプロペラシャフトを繋いだ車両)ということで、我が国の気動車史を語る上で必ず出てくる車両です。
キハユニ51は、芸備線の前身にあたる芸備鉄道を買収した際に一緒に買収された買収気動車です。芸備鉄道とおとなりの中国鉄道は優秀車を多数抱えていたこともあり、全国に散らばって活躍しましたが、現存はこの1両。黎明期のディーゼルカーとして貴重な1両です。
キハ08は客車を改造することにより制作費の低減を狙った気動車として作られましたが、あまり効果がなく終わりました。製作数が少ないこともあり、当然現存はこの1両のみです。
森製作所というメーカーが戦前に存在しました。古くなった蒸気機関車の台枠を再利用してディーゼル機関車を作るという変わったメーカーで、趣味者のあいだでは知られた存在でしたが、その森製作所製造の機関車も現存はこの1両、DB201のみです。ちなみにこのDB201は下回りも完全新造で作られたよう。
ワフ3、これも貴重な木造ワフです。名鉄の保存車なきあとは、ナロー以外の木造ワフだと栗原のものと本車のみのはずです。
加悦鉄道で活躍した車両以外の車両も置いてありますが、その中でもこのヨ2047は現存唯一のヨ2000としてとても貴重です。貨車は代替速度が速く、戦前製のヨ2000は国鉄の車掌車廃止まで残ったものはほんのわずかのはずです。
とまあこんなところで、これ以外においてある車両も含めて、どれも貴重な車両ばかりです。できれば全車救ってあげてほしいものですが、何とかならないものでしょうか。寄付先とかあればいいと思いますけどもね。
加悦SL広場の見学後は、再びバスに乗り込みますが、今度は直接福知山に抜けるのではなく日本海側に抜けます(福知山直通便は、いい時間帯のバスがなかったのです)。そして京都丹後鉄道を乗り継いで福知山に戻ります。
この時点で日没は間近、しかも福知山線の接続が上手くいかずに待ちぼうけ。というわけでそのまま福知山線で大阪に帰ったところで2日目は終了です。
つづく
眠気を抑えながら午前5時半に大阪駅に向かいます。
乗車するのは5:55発の福知山線福知山行き。福知山までこれで行くのですが、そもそも福知山だったら京都に泊まって京都から山陰本線で向かえばよさそうな話です。しかし、どうしても大阪に泊まる必要がありました。なぜなら、この5:55発の福知山行きが京都か大阪から向かううえでいちばん早くに福知山に到着するからです。
(福知山に宿泊することも考えたんですが、新幹線往復+同じ宿に二泊のパックツアーで旅費を浮かせたため、福知山に二泊してしまうと二泊目の行程がきついため、ギリギリ旅程が上手くいく大阪泊となりました)
で、当然ながら各駅停車でとんでもない時間をかけながら福知山に到着。そこから10分で乗り換えのバスに乗車します。コンビニに行く暇もありません。
福知山からは丹海バスで天橋立行きに乗ります。このバスは日に3往復なのですが、この朝の便を逃すと昼過ぎまで無いため、どうしてもこのバスに間に合わせる必要がありました。
目的地は公共交通に乏しいところにあるためレンタカーも考えたのですが、このバスがあったおかげで余計な出費をせずに助かりました。バス様様です。
そして、福知山から天橋立方面ということで、ピンときそうな方もいらっしゃると思いますが、赴いたのはこちらです。
現時点では閉園している加悦SL広場、この時点ではなんとかギリギリ間に合ったというタイミングでした。
ここにしかない貴重な車両たちが保存されている場所として、行かなければいけない場所筆頭ではあったのですが、公共交通希薄地帯にあるためになかなか足が向きませんでした。そこにきて突然の閉園の報せが届き、あわてて今回の旅を企画したというわけです。というわけで、メインイベントのはじまりです。
旧加悦駅舎である資料館を抜けるとすぐにこの光景です。目の前には夢にまで見た光景が広がっています。
ここにある車両はどれも貴重なものばかりですが、すべて紹介していると大変ですので、ここにしかないものを中心にご紹介します。
重文にもなった2号機関車。国内で残っているものとしては3番目に古いものと言えるでしょう。シンプルなフォルムが黎明期の機関車であることを伝えます。
反対側の写真は逆光で使い物にならないので、こちら側から。1261号機は簸上(ひかみ)鉄道(木次線の前身)からの譲渡車で、2号機も同じく簸上鉄道からやってきました。昭和初期の日車の小型機関車で、同型車や準同型車もそこそこの数が存在したよう。
4号機は河東鉄道(長野電鉄の前身)からやってきた車両で、川崎造船製。空気制動の装置が物々しい機関車で、昔から好きな機関車のひとつでした。
我が国に本当に唯一残った、ヨーロッパ式の多扉客車、ハ4995号。復元客車は何両かあるものの、イギリス式ではじまった鉄道黎明期の姿をそのままに伝える車両はここだけのものです。その実態は、車体が長く倉庫として使われていたものを復元したもので、倉庫になっていた車体部分と、廃車になった同型の単車の台車部分を組み合わせたもので、本当のオリジナルと言うわけではないようです。しかし上回りはまさしく本物で、これだけでも見る価値のあるものです。
この客車、なんと中に入れます。屋根アーチの木工の美しさと言ったらありません。
デッキ付き、そして荷室付きという可愛らしい客車、ハブ3です。この客車もファンの多い1両です。
九州鉄道出自とかいろいろと説はあったようですが、最近では明治23年に讃岐鉄道が発注したドイツはヴァンデルチーベン製のものが流れに流れて加悦にやってきた、というのが真相のようです。
大勢力を誇ったホハ22000の一党が1両も保存されなかった今となっては、ナロー以外では国内唯一の木造「ボギー」客車、ハ10です。これでも加悦鉄道では大型の客車でした。
なお、これ以外にも2両、木造客車がいるはずですが、この日は見当たらず。作業所内も見たんですが、それらしい客車はおらず、どこかに搬出されたか、もしくは作業庫内にいたのでしょうか。いずれも与謝野町の指定文化財ですので、解体されたということは無いはずですが。。。
いずれにせよ、再公開の暁にはもう一度加悦の地へ赴かなければならないでしょう。
バケット付きの古めかしいスタイルは、キハ101です。現存唯一の片ボギー車(技術的な問題でボギー台車を駆動させず、単軸台車にエンジンから力を加えるプロペラシャフトを繋いだ車両)ということで、我が国の気動車史を語る上で必ず出てくる車両です。
キハユニ51は、芸備線の前身にあたる芸備鉄道を買収した際に一緒に買収された買収気動車です。芸備鉄道とおとなりの中国鉄道は優秀車を多数抱えていたこともあり、全国に散らばって活躍しましたが、現存はこの1両。黎明期のディーゼルカーとして貴重な1両です。
キハ08は客車を改造することにより制作費の低減を狙った気動車として作られましたが、あまり効果がなく終わりました。製作数が少ないこともあり、当然現存はこの1両のみです。
森製作所というメーカーが戦前に存在しました。古くなった蒸気機関車の台枠を再利用してディーゼル機関車を作るという変わったメーカーで、趣味者のあいだでは知られた存在でしたが、その森製作所製造の機関車も現存はこの1両、DB201のみです。ちなみにこのDB201は下回りも完全新造で作られたよう。
ワフ3、これも貴重な木造ワフです。名鉄の保存車なきあとは、ナロー以外の木造ワフだと栗原のものと本車のみのはずです。
加悦鉄道で活躍した車両以外の車両も置いてありますが、その中でもこのヨ2047は現存唯一のヨ2000としてとても貴重です。貨車は代替速度が速く、戦前製のヨ2000は国鉄の車掌車廃止まで残ったものはほんのわずかのはずです。
とまあこんなところで、これ以外においてある車両も含めて、どれも貴重な車両ばかりです。できれば全車救ってあげてほしいものですが、何とかならないものでしょうか。寄付先とかあればいいと思いますけどもね。
加悦SL広場の見学後は、再びバスに乗り込みますが、今度は直接福知山に抜けるのではなく日本海側に抜けます(福知山直通便は、いい時間帯のバスがなかったのです)。そして京都丹後鉄道を乗り継いで福知山に戻ります。
この時点で日没は間近、しかも福知山線の接続が上手くいかずに待ちぼうけ。というわけでそのまま福知山線で大阪に帰ったところで2日目は終了です。
つづく
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茨城県古河市在住。「いばらぎ」ではなく「いばらき」です。
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