忍者ブログ

豚汁模型!

鉄道模型のごった煮をゆるくほそぼそ楽しむブログ

2024'05.17.Fri
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2014'06.01.Sun
お久しぶりです。暑くなってまいりましたね。夏場は38℃にもなる我が家は、これからが正念場となります。


 最近はちまちまとこんなものを作っています。随分と先頭車の多いことで(^^;
 説明書どおりの素組なので工作記事をアップすることはしないでしょうが、完成の暁には車両紹介として記事をアップしたいと思います。

 そんな近況ですが、現在はあることのための準備に追われていまして、なかなか暇も取れない状況です。新記事のアップは先のことになると思われます。
 私事になるのですが、そのあることがあるために、携帯電話への連絡もおそらくままならなくなると思われます。この状態は6月後半あたりまで続きますので、一部の私の連絡先を知っている方々にはご不便をおかけしますが、ご理解くださいませ。

 それではまた、7月に会いましょう。

拍手[2回]

PR
2014'04.27.Sun


 冒頭からいきなりですが、いつの間にかディーゼルエンジン搭載車が増えています。といっても、NDCシリーズやJR北海道の特急ではなくオレンジとクリームの塗り分けの気動車であるあたりが私らしいといえば私らしいですが(^^;
 上の画像のほかにもKATOのキハ58が12両もあったり、KATOのキハ40やキハ20があったりするなど、小さなスペースのレイアウトがほしくなるくらいには増えています。茶色い客車も増えましたしね。
 TOMIXのHG気動車シリーズが主に価格の面で手が出ないのが救いといえば救いですが、これでキハ58の非冷房車など出た暁には、金銭感覚が麻痺してどんどん増備してしまうところが容易に想像できてしまうところが恐ろしいところです。
 さて、そんなこんなで今回の新車は中央に見えているDE10です。
 
 一家に一台(?)はほしいDE10。色々あって前回生産時には買い逃していたのですが、タイミングが良かったこともあって今回購入の運びになりました。
 DE10というと、実家が小山駅にほど近かったこともあり、現在は更地になっているかつての小山の貨物ヤードや、ヤマダ電機へと姿を変えた日本製粉の引込み線でホキ2200を前後に移動させながらせかせか働いていたDE10の姿を、飽きることもなく見ていた記憶がよみがえります。
 そんな記憶の中にいるDE10は当たり前ながら暖地型タイプなのですが、私が購入したのはやはり寒地型のタイプ。DD51でもそうでしたが、やはり旋回窓やスノープラウの、機関車らしい武骨かつ重厚な姿が好きで、ついつい見たこともないのにこちらを購入してしまいました。ちなみに取り付けたナンバーの1202番は、80年代には弘前機関区にいたようですね。

 昨今、ハイディティールの蒸気機関車が多数発売されにわかに活気付いていますが、やはり非電化ならばディーゼル機がいいと思うんですよね。などと思いつつ、今回は〆とします。


 こんな貸しレイアウトで、大量に気動車を持ち込んで走らせたいですよねえ。見えるカーブは極力緩く、架線柱なんぞ無粋です。まあ、自分で作れって話ですが(^^;
 それではー(^^)ノ
 

拍手[1回]

2014'04.12.Sat
さて、粛々と模型購入報告ブログと化している豚汁模型でありますが、今日は消費増税の影響かスッカラカンだった銀座の某店でこんなものを買ってきました。


 TMS1978年6月号です。前々からこの号を探していたのですが、なんと100円でした。迷わずレジへ持っていった次第です。余談ですが、袋もまたいいですね。機芸出版社の代理店だからでしょうが、中古本でもわざわざこの袋に入れてくれるあたりが粋ですよね。
 この号では、まず初めに読者のNゲージレイアウトを大々的に紹介し(どうやら機芸出版社に送られてきた写真をほぼ全て載せたようです)ています。中の関水金属(まだKATOではなかったころです)の広告を見ると、スカートが台車にあわせて首を振るEF66(笑)や、現在でも発売されているワキ5000やコキ5500が新製品として取り上げられています。広告欄を見ても、鉄道模型社をはじめとして、松戸のわらそうや西武百貨店のしぐなるはうす、西荻窪のニットー教材(後に一部スタッフが独立しモデルワーゲンの原型となります)、更には先刻惜しまれつつ閉店した伊勢崎のエルホビーなど、かつての名店が並びます。ユニバーサル模型社やコンドル模型、エコーモデルなど、現在も盛業中な店も並ぶ中で、巣鴨のさかつうや赤羽のヤマナカ模型など、行ったことのある店が30年以上の時を越えて活字として読めるというのも一種の感動を覚えます。
 さて、この号をわざわざ買ってきたのは、松井久明氏による「鯨川地方鉄道の車両たち」という記事が掲載されているためです。


 カラーページを含めて10ページにまとめられたこの記事。現在ではネット上でもよく見られる、自分の夢想した架空鉄道について紹介した記事ですが、この当時フリーランスの、それも地方私鉄を扱った記事は皆無と言ってよく、方々の架空鉄道のブログでその影響は多大であったと記されています。この記事が発表されなければ、おそらくは、現在の架空鉄道を楽しんでいる界隈の版図は大きく異なったものになったでありましょう。
 また、模型界においてもこの「鯨川地方鉄道」は多大な影響を及ぼし、かの「地鉄電車」シリーズでおなじみの宮下洋一氏も、この鯨川地方鉄道に大いに触発されたことを述懐しています。氏は1981年・82年のTMSコンペで連続受賞(81年は佳作、82年は特選)していますが、当時は宮下氏いわく「機関車至上主義のような風潮」があり、全く日の当たらなかった地方私鉄系フリー電車(しかもペーパー自作)で出品、受賞したことから大きな話題となりました。その後宮下氏はRM MODELS誌上で次々とジオラマセクションを発表し、16番の世界では下火になりかけていた地面モノを再興させたことはご存知の方も多いはずです。
 そして、Nゲージを中心に扱ってきたこのブログにおいて、この松井氏の鯨川地方鉄道→宮下氏中越地方鉄道の流れ(実際にはこれ以外にも系譜がありますが、ここでは割愛します)を受けた製品として、鉄道コレクションの存在を触れないわけには行かないでしょう。鉄道コレクションの第一弾にはフリースタイルの電車として、モ1031(元デザインは鶴見臨港鉄道モハ100)と、モ1032(元デザインは銚子電鉄モハ500・上田丸子電鉄モハ2320)という車両が含まれていましたが、これこそが時を越えてNゲージの製品として表れた「鯨川」の末裔ではないかと私は思っています。鉄道コレクションの第一弾が発売された当時はNゲージをもう触っていたのでよく覚えているのですが、まず考えたのが「どうしてこんな地味な車両が!」ということでした。考えても見てください。当時は私鉄モノといえばGMのキットを組み立てるくらいしかなく、まだマイクロエースもここまで私鉄モノを出してはいませんでした。それを天下のTOMIX様々が発売するなんておかしな話です。おそらく、「鯨川地鉄」や、この後松井氏が発表された「イワキ交通」(とれいん1987-1)、宮下氏の「中越地鉄」、同じ系統の会田充彦氏の「湘南交通」(TMS1979-8・TMS1982-7)、Nゲージでの発表はおそらく初めてであろう広瀬晴一氏の「神奈川電鉄」(TMS1995-1~3)などに影響された方がTOMIXの企画室にいたのではないかと邪推します。ちょっと手を加えれば「いかにも」どこかの地方私鉄・3セクにいそうな車両をこの後ラインナップし続けるわけですが、TMSなどで発表された「鉄道模型による架空鉄道あそび」がその源流にあるのではないかと、いち地方私鉄ファンであり架空鉄道ファンでもある私は思うわけです。

 さて、長々と語ってきましたが、肝心の記事の内容に関して触れてみます。
 この当時の私鉄モノといえば大手私鉄ばかりでマイナーな地方私鉄にぴったりの車両など製品化さえされていないわけで、ほぼ全ての車両がペーパーによる自作となるわけですが、野暮ったいけれどもしっかりとまとまったそのスタイルは、いかにもどこかにいそうな地方私鉄車両ではないかと錯覚します。レタリングが手書き(!)であったり、テールライトが爪楊枝の輪切り(!!)であったりと随所に見られる古の技法には驚かされます。
 しかし、なんといっても言及すべきはその文章にありましょう。機をてらわず、時に失敗談なども織り交ぜられながら軽快に語られる語り口は、現在の模型記事にはない素朴な感じが大変に新鮮で、現在も色あせることはありません。
 そして、鉄道の「設定」を言い過ぎていないことも魅力の一つでしょう。模型誌での発表ですから、当然作者の世界だけで完結していることが大多数を占めるのが当然であると思いますが、この「鯨川」の記事は、大まかな路線図と基本設定が書き込まれているだけで、あとはいい意味で「適当」であるのです。こうすることで読者の想像力が書き立てられ、このなぞめいた地方私鉄に対してどんどん興味がわいてきます。線路幅は思い切って1435mmにしたかったが、国鉄との乗り入れも考えて1067mmに落ち着いた、などという文言もあり、松井氏自身も自由にこの地方私鉄について考えていたようです。

 なぜ今更こんな記事をまとめているかといえば、まあ書かないと覚えないという私の性格による備忘録的な側面が大きいのですが、やはりこの「鯨川地方鉄道」の記事のような、我々の鉄道模型という趣味そのもののたどってきた歴史を語り継いでいくためにも、私のような若い趣味人がその事実を記憶しておくことが重要であると考えたためです。1978年のTMSですから、ちょうど現在の40~50代くらいの方々に多大な影響を及ぼしたと考えますが、いかんせん我々20代には、現在の模型界、ひいては鉄道趣味界の源流についてまで知識を有している人は少ないように感じます。いかんせんネットで少し情報を集めれば、ここまでに書いたようなことは把握できるわけですが、私という若い世代がこうした記録を書いていることに意味があると信じ、ブログという形で書かせて頂きました。
 架空鉄道や鉄コレという「鯨川地方鉄道」の末裔として、最後にこの記事に経緯を表し、このあたりで締めさせて頂きます。長々と失礼いたしました。


参考文献・HP
鉄道模型趣味1978年6月号(機芸出版社)
模型鉄道 地鉄電車(宮下洋一著 ネコ・パブリッシング)
模型鉄道でよみがえる昭和の鉄道と暮らし―エコーモデル・その世界(ネコ・パブリッシング)
吊り掛け電車をもとめて(http://tsurikakedensha.blogspot.jp/)
軽便鉄模アンテナ雑記帳(http://d.hatena.ne.jp/keuka/)
神奈川電鉄をたずねて(http://rinji99100.web.fc2.com/kana/kana.htm)
資料館の倉庫から(http://caw99100.exblog.jp/)
モデルワーゲン(http://www.modellwagen.com/index.html)

拍手[3回]

2014'03.15.Sat


 今改正が歴史を語る上での非常に大きなターニングポイントとなることは間違いありません。戦前から 脈々と受け継がれてきた東北夜行の灯が今日、消えます。
 これが国鉄が護り続けてきたものの終わりなのであろうと率直に思います。いつかは来ると思っていても、やはりさびしいものがありますね。


 平成生まれなのに国鉄党という私の嗜好には、思うに今は亡き祖父に連れられて見ていた川口付近での情景が最も影響を与えていると思われます。もう新幹線は東北・上越ともに出来ていましたが、まだ「あさま」や「白山」が目の前を行き交っていたのを見ていたような世代です。
 その「あさま」や「白山」も今はなく、また「能登」や「北陸」なども消えていき、最後に残ったのが「あけぼの」でした。


 「あけぼの」の思い出といっても、直接触れるようになったのは最近のことです。青森からやってくる列車は朝が早く、上野を発車する列車は夜が遅く、大学生という身分を得るまでは、住んでいる家からではとても見れる列車ではありませんでした。
 そんな私にとっての「あけぼの」が一気に身近になったのが、「あけぼのツアー」でした。


 「往復『あけぼの』に乗って青森まで行って帰ってくるだけ」という、今考えてもとんでもない旅でしたが、乗ってよかったと率直に思います。
 「あけぼのツアー」より少し前に開催された「きたぐにツアー」でも感じたことですが、生で体感することの重要性をこれほど実感するとは思いませんでした。匂い、雰囲気、空気、音。全てが「普通に走っている」からこその生の質感は、今思い出すだけでもまだ新鮮味があります。何にも変えがたい貴重な体験でした。






 

 
 これらは「あけぼのツアー」の記録からの再録です。あまり感傷的なことを書くのは好きではないのですが、今回の記事を書くに当たって「あけぼの」の画像を探していた際に目に留まった、「あけぼのツアー」の際の写真を見ていると、当時の楽しかった記憶が鮮明に思い出され、また「あけぼの」がなくなってしまった以上、蔵出しする機会がなくなるということはあまりにもったいなく、ここで紹介させていただきます。被写体になってくださった皆様には、この場での確認になってしまい申し訳ないですが、何卒お許しいただけると幸いです。
 ごくごく個人的なことですが、日本酒の味を覚えたのも、この旅の中で呑んだ「高清水」が非常に美味しかったからに他なりません。これから日本酒を呑むたびに、「あけぼの」の楽しかった3日間を思い出すことでしょう。
 Thanks to Mr.KAZU(1枚目)& Mr.MASARU(3枚目)& Mr.NARU(4枚目)& Mr.HISASHI(5枚目)& Mr.mattun(6枚目)& Mr.SEKKI(7枚目)& Mr.noto92(8枚目左)! Spacial thanks to Mr.MAMO & Mr.S ! 


 
 雑踏の中では感傷に浸れないと思い、興奮が冷めた頃に、主の行ってしまった13番線を訪ねました。
 いつもと変わらぬ13番線でしたが、どこか大切なものが抜け落ちてしまったような、そんな感じがいたしました。



 

拍手[2回]

2014'03.10.Mon
ここのところ目玉の新製品もなく記事の書けるようなこともないので、もう随分前に所信表明していたフリーのスイッチャーに手を付けてみることにしました。


 とりあえず分解して悩んでいるの図。この製品、部品構成が面白くて、キャブは見事に外れるのに煙突が外れないんですよね。変なの。
 そんでもって色々切ったり削ったりしてこうなりました。


 まずは片方のボンネット部をキャブ部分から思い切って切断し、使用するKATOの凸電の動力ユニットにあわせて機械室部分に切り込みを入れています。
 動力ユニットに車体をかぶせると少し車体が短いような気もしましたが、製品の窓のHゴムを生かしたかったのと、セミセンターキャブのスイッチャーなどという特殊事例は避けたかったこともあり、片方のボンネットを完全に切り落とした形になっています。
 更にここから加工しまして・・・


 現在の状態はこんな感じ。ここまでやるとわざわざ高いAssyパーツなんて使わなくて良かったんじゃないかという気もしますが、そこは考えないことにします(^^;
 前面のグリルはそのまま使っても良かったんですが、はめ込み式のナンバープレート部分の処理がやっかいで、思い切って穴を開けてしまいました。どのようなグリルをあつらえるかはこれから考えます(^^;
 前面のライトも、スイッチャーには不似合いな立派なライトなので削り落としました。ここには、銀河の250wヘッドライトでも取り付けようと考えています。
 ここまで加工するとデッキも付けてやりたくなりますが、カプラーの処理が面倒そうなので、大人しく握り棒くらいにとどめておくことにしようと思います。確かEF58の補修用でストックしてある握り棒がありますから、それが使えるはず。。。

 とりあえずそんなところで、今回はこれまで。それではー(^^)ノ

拍手[3回]

[15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25
«  BackHOME : Next »
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
性別:
男性
職業:
学生
自己紹介:
茨城県古河市在住。「いばらぎ」ではなく「いばらき」です。
ブログ内検索
忍者カウンター

豚汁模型! wrote all articles.
Powered by Ninja.blog * TemplateDesign by TMP  

忍者ブログ[PR]