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豚汁模型!

鉄道模型のごった煮をゆるくほそぼそ楽しむブログ

2024'04.30.Tue
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2016'05.31.Tue
お久しぶりです、なんていう枕詞を使わないくらいに更新をしたいと思ってはいるのですが、なかなかうまくいかないものです。
 というわけでお久しぶりです。4月の末に行われた上毛電鉄の大胡車庫でのイベントに行ってきたので、覚書でも書いておこうと思います。

 最近は興味を引く魅力的な電車も少なくなってきたので、撮影目的で出かけることも少なくなりました。というわけで、そろそろ去就が黄信号な車両を出かけついでにちまちまと撮影。


 具体的な発表はまだないですが、両者ともそろそろ何かしらの発表があるでしょう。ちなみに下の115系は、現状では2本しかないサハ組み込み編成のようです。


 さて、上の115系に乗って着いた先は桐生です。そこから上毛電鉄の発着する西桐生に乗り換えるには歩くことになるのですが、これが歩いてものの5分程度。これだけの距離ですから国鉄駅に隣接した立地に出来なかったのかとは思いますが、おそらくかつての繁華街はこちらにあったのでしょう。地方私鉄の駅の立地としてはよくあることです。
 西桐生のプラットホームに入ると、出迎えてくれたのは元京王3000形。2両編成が大変好ましく、この車両が似合うレイアウトを作ってやりたくなります。

 のどかな沿線風景に見惚れつつ電車に揺られ、大胡駅に到着。コンパクトにまとまっていますが、駅員配置駅としての機能は過不足なく整っている姿が何とも好ましい駅です。
 さて、このまま車庫を見に行ってもいいのですが、どうやら目当ての電車が来る時間までそうないようですので、駅の周辺を色々と探索します。
 
 大胡駅は今や貴重になった構内踏切のある駅で、車庫や線路関係の建物も含め、小レイアウトの見本としてはまさにうってつけです。

 おそらく現存はこれともう3台(東武博物館に1台と、花巻市に2台)という雨宮製作所製の電車用台車が側線に無造作に置かれていましたが、いいんでしょうかね? 上毛電鉄が客寄せ保存のためにわざわざ引き取ったものと記憶しますが、隣にある、これも無造作に置いてある東武5700系用の台車とともに、今後の処遇が気になります。

 そうこうしているうちに、お目当ての電車がやってきました。2016年現在で御年88歳という超長寿のデハ101です。このクラスの電車で動けるのは、もはや一畑電鉄(あえてこの名称でw)のデハニ50と琴電の旧型車と、あとはこの電車しか無いのではないでしょうか。そしてこの電車がすごいのは、イベント時や貸切列車のみとはいえ、営業線上で乗車できるということです。邪魔者(失礼!)がおらず自分の走りだけに集中できる動態保存車とは違い、ほかの列車の邪魔にならぬよう、それなりの速度で走らねばならない営業線での運転は大変に貴重で、もはや国内で乗れるのはここだけなのではないでしょうか。
 もちろんここで乗ることもできるのですが、ここでは撮影するだけにとどめ、車庫に向かうことにしました。

 今回訪れた最大の目的は、この車庫をじっくり見学すること。現在所持している鉄コレや、密かに進む大きい模型の購入計画から察するに、これくらいの規模の車庫モジュールが欲しくなることは明確ですので、それらの参考にすべく以前から注目していた車庫なのでした。

 登録有形文化財にも指定されたこの木造車庫、舐めまわすように(^^;)いろいろ見てきました。

 模型の参考になるようにと、カメラのフラッシュを使いまくったためにこの車庫だけでバッテリー1つ使い切ってしまうくらい、膨大な枚数の写真を撮りました。全て掲載するわけにもいかないので、私視点で面白いと思ったものをいくつかご紹介。

 現役ではないようですが、昔ながらのベルトで連動するタイプの旋盤加工室が残されており、見学者は自由に中を見ることができます
 
 加工室のメイン機械である旋盤です。これもベルトで伝えられた動力によって動きます。旋盤は金属のねじ切りや表面削りを行うものですから、車輪の転削などがこの機械室で行われたのでしょうか。

 こんなものも見つけました。おそらく、下にある箱の中にくず鉄を入れて、上にある空気圧で作動するタイプのシリンダーで押し付けて、くず鉄をぺしゃんこにするものと思います。注目すべきはシリンダーの形状で、これ、台車にくっついているブレーキシリンダーではないでしょうか。鉄道の修理工場ならではの再利用品ですね。

 さて、工場設備だけでは飽きてしまいますから、ここからは車両です。こちらは先ほどのデハ101と同形式のデハ104です。デハ101とともに残された旧型車で、デハ101とは違い黄色をまといます。上毛電鉄は1980年代に西武の旧型車に統一されて雑多な旧来からの車両は一掃されるのですが、それまでの車両がまとっていたのがこの黄色です。この2両が残されたのは、かつて三俣駅にあった製油所への貨物輸送があったためで、電気機関車を保有していなかった上毛電鉄は、小回りが利いたデハ100型を貨物輸送用として2両だけ残したのでした。電気機関車を保有しておらず、やむを得ず残したこの2両が、現代では観光資源になるのだから面白いですね。

 先ほど「上毛電鉄は電気機関車を保有していない」と言ったばかりですが、電気機関車の紹介をします。といっても、客寄せ保存目的で東急から譲渡された機関車なので、上毛電鉄とは関係のない車両です。
 1926年に川崎車両で製造されたデキ3021です。上のデハ100型が同じく川崎車両で1928年に製造された車両ですから、同郷の車両が80年の時を超えて出会ったことになりますね。
 川崎車両ではこの車を標準車として各私鉄に売り込みたかったらしく、同型車として山形交通や伊勢電(後に名鉄に買収)の車両があります。もっとも、そのころの主流であったウエスチングハウス製や、ウエスチングハウス製の機関車を国内でコピーした車両ほどには普及しなかったようです。
 実車は長く東急唯一の機関車として主に工場内の入れ替えに活躍していましたが、2009年についに用途を失って解体の運命にあった所を、上毛電鉄に救われる形でこの大胡にやってきました。
 車籍がないので本線運転はできませんが、構内での運転は可能で、イベント時などでは元気に動いているようです。この日も乗車体験などで構内を行ったり来たりしていました。

 この貨車も上毛電鉄とはあまり関係のない貨車です。東武鉄道テ200形テ241です。
 形式が示す「テ」は鉄製有蓋車の印であり、このカテゴリーは湿気を嫌う荷物を運ぶために作られた車両で、主に袋詰めセメントの輸送用として使用されました。葛生など多くの石灰石鉱山を沿線に持っていた東武や、西武鉄道、秩父鉄道、上信電鉄などにゆかりのある貨車で、養蚕で栄えた上毛電鉄にはあまり縁のない車両です。
 やがてセメントの輸送が袋詰めではなく、ホッパ車などで直接運ぶ方法が主流になるとあまり使用されることはなくなり、この車も東武野田線の七光台車庫で工事用兼倉庫として残されていたものでした。
 やがて上記のデキ3021が上毛にやってくる際に一緒にやってきた車両で、電気機関車の相方が欲しかったのでしょうか。いずれにせよ、消えていく運命にあった車両が残されたのは意義があることですね。

 さて、車庫の話はこれくらいにして、いよいよデハ101に乗り込みます。

 大胡駅に滑り込んでくる古老。イベント時のみとはいえ、乗車区間の切符を持ってさえいれば、営業運転ならではの本気の吊りかけサウンドを体験することができるのです。これは本当にすばらしいことです。

 車内の雰囲気も大変に素晴らしい。白熱灯に照らされた木目の麗しい車内に響き渡る吊り掛け電車特有のモーター音と、「パスパスパスパス」という頼りないコンプレッサー音。「タイムスリップしたような」という言葉はよく使われますが、本当に当時そのままで、感動しきりでした。スマホに車内の音も入った動画を撮ったので、いずれYoutubeかどこかにアップしようと思っています。

 デハ101は中央前橋に滑り込みます。この駅も国鉄駅から離れて建設されました。小私鉄らしくこじんまりとしていながらも、地域の私鉄の終端駅としての風格は充分にあり、前から好きな駅でしたが、訪れてみてもっと気に入りました。

 中央前橋は川沿いにある駅なのですが、その川と駅のバランスが絶妙で、大胡駅だけでなくこういう駅もレイアウトに取り入れたくなります。いい駅です。
 折り返しのデハ101に乗ることもありあまり見る時間が取れなかったので、次回は駅目当てで訪れたいところです。そういえば、福島交通の飯坂温泉も川沿いの終端駅として好きな駅で、一度訪れてみたいですね。


 さて、帰りもデハ101に乗って、そのまま西桐生まで行きたいところですが、大胡に入庫してしまうので、やむなく大胡で降りて後続の普通列車に乗り換え、上毛電鉄を後にしました。
 上毛電鉄は以前から伺うチャンスをうかがっていたのですが、予想以上に素晴らしいものでいっぱいで、もっと早くに訪れておくべきでした。また機会があれば行きたいと思います。


 帰宅時も去就が心配される車両を記録しながら、家路につきました。

 ここまでご覧いただきありがとうございました。それではまた(^^)ノ

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2016'04.16.Sat
熊本が大変なことになっているようです。情報が錯綜しており、何が真実かわからない状況なのであれこれと言及しませんが、被災された皆様の無事を願っております。

 さて、影響のない地域ではいつも通りに過ごすことも重要ですので、このブログではいつも通りに記事を進めていきます。
 いつもですとこのような書き出しの場合は模型を買った場合が多いのですが、今回はいつもと毛色の違う記事をお送りします。
 きっかけはツイッターでした。ある日にラックレールの話題になり、ラックレールが廃止になったあとのレールの転用先について興味深い言及がありました。
 ラックレールを用いたアプト式についておさらいしておくと、車両側に取り付けられた歯車(ピニオンと呼びます)と、二本のレールの間に取り付けられたギザギザのレール、これをラックレールと呼ぶのですが、車両側の歯車と線路側のラックレールとをかみ合わせて急こう配を登っていくシステムです。日本では大井川鉄道井川線で採用されているほか、かつての碓氷峠で使用されていました。碓氷峠では、

本線上としては最初の電気機関車として知られるEC40や、

ED40やED42といった電気機関車が使用されていました。お察しのように、現在の碓氷峠では廃止されたシステムで、ラックレールもそれに併せて取り外されたのですが、一部が排水溝のふたや金具など他の用途に転用されて、現在でも見ることができます。横川駅や横川駅の周辺では、いたるところで見ることができますね。

 そして、冒頭のツイッターの話。なんでも、ラックレールの転用先として最遠なのが古河駅なのだそうです。古河といえば宇都宮線の駅ですから、碓氷峠との縁は薄い地です。なぜなんでしょうね? というわけで、用事を済ましがてら見てくることにしました。

 あっさり見つけました。場所は、古河駅南口を出て、右に曲がって線路沿いを行ったところにあるJRバスの事務所の敷地内です。自転車の駐輪場も兼ねているため、簡単に入ることができます。
 確かにこれはラックレールです。どうやら縁石のような使われた方をしているらしく、コンクリートに固定されていました。それならば普通に縁石を置けばいいと思うのですが、ますますわかりません。

 使われている場所も謎です。ラックレールが置かれているのは、バスの詰所の物置か、あるいはごみ集積場といった趣の小屋の前です。それにしてもわかりません。
 現在の古河駅は高架駅ですが、ラックレールが使用されている時代の古河駅は高架駅ではありませんでした。高架駅になったのは1984年で、現在JRバスの詰所も高架の下にありますから、この位置に国鉄バスの施設ができたのもそれ以降ということになります。国土地理院の空中写真で見ても、高架化される前のこの辺りはプラットホームであろうことが推測できます。碓氷峠でアプト式が廃止されたのが1963年ですから、明らかに時代が合いません。碓氷峠のアプト式が廃止されてからずいぶん経った後で設置されたことになるのですが、それにしてもどこから持ってきたもので、何のために設置されたのかも謎のままです。どなたかご存知の方は、教授いただけるとありがたいです。

 それではまた(^^)ノ

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2016'03.30.Wed
以前に西武鉄道の博物館がほしい、というような話をしましたが、京王は最近になって自前で博物館というか、車両展示スペースを作りまして、私のような古い電車が好きな変わり者には嬉しい施設となりました。
 場所は多摩動物公園で、近隣の大学関係者以外にはあまり縁のない場所ですが、随分前のことにはなりますが幸いにして近くに用事ができましたので、これ幸いと覗いてきました。撮ったときは大変に暑い日だったはずですから、なんともはや、という感じです(^^;

 車両展示スペースはこんな感じ。以前は鉄道模型の運転場があった場所なのですが、見事に車両が入っていますね。ちなみに、隣接する資料館もあるのですが、こちらは子供向けの感が強いので割愛します。HOゲージレイアウトもありますが、子どもが動かせるようになっているだけで、一斉に車両が動き出すようなイベントも行われません。この辺りは、今後充実していただきたいな、と思うところですが、多摩動物公園の隣という立地だけに難しいのかもしれません。
 それではさっそく展示車両の紹介へ。

 2400型2410号、1940年製造というには古めかしく、また14mという小さなサイズの電車ですが、当時の京王は路面電車規格で、大型車が入ってくるのは1960年ごろになります。このあたり、当時は帝都電鉄という別会社だった井の頭線では17m車が幅を利かせており、現在とは違う状況が面白いところです。
 1963年の架線電圧の昇圧によって大半の仲間が廃車になった後も、支線で使われていた同車ですが、保安装置の変更がアダとなって廃車になりました。その後は多摩動物公園駅前で保存展示されたのちに若葉台検車区に移り、また多摩動物公園へと戻ってきたわけですから、一種の里帰りですね。
 この小さなかわいい電車、個人的に好きな電車のかなり上位に来る電車で、若葉台時代から見たかったのですが、常設展示されることになり、嬉しさもひとしおです。

 こちらは2010型2015号、2410とは打って変わってカルダン駆動の高性能車です。ここに来なくとも実は銚子電鉄で乗れる(!)のですが、それはまた別の機会に。
 初期高性能車ということで、世代的には小田急2200型や東急5000型などと同時期の製造となりますが、製造両数の少なさゆえか、あまり日の当たらない形式です。先の2410号のような14m車を電装解除してトレーラーとして編成に組み込んでいたことも特筆できますね。
 末期には普通電車専用となりますが、どうやら京王沿線の大学出身の母親が乗ったことがある様子。冷房もないこの電車がホームに滑り込んでくると「ハズレ」だったそうな(笑)

 京王5000型は、もう詳細を説明するのも野暮というほどの名車ですね。
 この電車、事業用車となってから見に行こうと思えば見に行けたのですが、タイミングが合わずに実見できないままでした。幸いにして各地の私鉄で今も動いており、富士急行で実際に載ることができたのはうれしかったですね。

 富士急行ではリバイバル色として、京王電鉄時代の塗装でも活躍しています。置き換えは時間の問題でしょう。

 続いては6000型。こちらは近年まで活躍していたのでお馴染みの方も多いでしょう。私も乗ったことがあります。

 なんとか写せた優等運用の写真から。パンタが切れているというどうしようもない写真ですが、せっかくなのでご笑覧下さい。
 
 こちらは井の頭線用の3000型。こちらも知らない人はいないですよね。長い間活躍しましたが、つい近年、京王線上からは姿を消しました。今は各地の地方私鉄で第二の人生を歩んでいる車両が多くいますね。

 3000型は、待っていれば来る手軽さも相まってよく写しました。最末期にも優等運用によく入り、急行灯を点灯させて最後の頑張りを見せている姿を何度となくカメラに収めましたっけ。今では1000型の天下で、足が向かなくなりましたね。

 京王の博物館、走っている姿を拝めなかった車両たちが多数おり、ありがたい場所です。ほかの電鉄会社もこのような施設を作っていただきたいですね。特に西武、京成、小田急あたりは、見たい電車を車庫に保管していますから、ぜひともお願いしたいところです。
 それではまた(^^)ノ

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2016'03.13.Sun
あの日から5年が経ちました。
 世の中もそうですが、個人的には激動の5年間となりました。まあ原発やら復興やら、色々と書けることはあるのですが、このブログはそういうブログではありませんから、今回は単純に5年前のあの日の私について。

 2011年初頭の私は、一浪して挑んだ受験で思うような結果にならず、たいそう落ち込んでおりました。食べることが何よりの楽しみな私が、1週間何も食べる気が起きないほどの喪失感に苛まれていました。
 そんな折、何とかもぐりこんだ大学への進学を控え、3月11日は祖母とともに家で過ごしていました。当時は受験失敗のショックで何もやる気が起きず、ただだらだらと惰眠をむさぼる毎日。当日起きだしたのが12時という体たらくで、完全に昼夜逆転の生活を送っておりました。
 地震が起きた時間は部屋のパソコンでWikipediaか何かを見ていたのだと思います。揺れた当初はそこまで大きくないと思っていたのが、どんどんと大きくなり、しまいには立っているのもやっとという状態になりました。当時住んでいた、というか今も住んでいるのですが、茨城県の古河市は震度6強という強い揺れだったそうです。しかし揺れが強くなると同時に停電してしまったので、その規模を知るのは少し後の話になります。
 当時の私の部屋(今も同じ部屋です。二階にあります)には、パソコンが置いてある机の上には棚があって、そこにはずらりと小説が並んでいました。本棚ではなかったので、強い横揺れによって頭上から本が降り注いできます。これは危ないと思った私はすぐに部屋を出ました。部屋を出ると同時に、二つ隣の自室でテレビを見ているであろう祖母はどうしているか気になり、強い揺れに耐えながら祖母の部屋へと向かいます。
 祖母はその時、ベランダに腰かけてタバコを吸っていました。火は危ないと思ったのか、すでにタバコは灰皿の中で、祖母は柱につかまって動けなくなっていました。私は祖母に「大丈夫だ」と声をかけると、部屋の中でもっとも不安定だったテレビを支え、そのまま揺れが収まるのを待ちました。
 揺れが収まると祖母とともに外に出て状況を確認します。幸いにして外の様子はいつもと変わらず、いっせいに外に出てきた近所の人と、停電によってマヒした幹線道路の動きだけがいつもと違うところでした。
 その後は停電で何もすることがなく、余震におびえながら数日間過ごしました。幸いにして断水はしなかったので助かりましたが、午後7時には部屋も真っ暗で何もすることがないうえ、昼まで寝てしまったので寝るに寝れず、苦しい夜だったのを覚えています。

 そんな折に撮ったのがこの写真。撮影時間を見ると7時半すぎですが、家の明かりはおろか街頭でさえ落ちているのが印象的で撮った写真です。
 停電が復旧したのは翌々日くらいでしたでしょうか。自分たちのことで精いっぱいでほかのところにまで気が回っていませんでしたが(ラジオから情報を得てはいました)、テレビからの映像によって被害の深刻さと、徐々に上方修正されていく死者数に震え上がったのをよく覚えています。

 それから5年、その「何とかもぐりこんだ大学」も「何とか」卒業し、社会人一年目が終わろうとしています。住んでいる地域は内陸部ですから、さすがにこの地で地震の爪痕を感じることはないものの、未だに戻らぬ人を想う人々がいることに、まだまだ傷痕の大きさについて考えます。
 高校・大学時代の仲間も各地に散り、今では会うことも少なく、5年の間に自ら人生を終わらせてしまった人もいます。5年という月日は、私にとっては刹那に過ぎ去り置き去りにした日々です。それは変わらぬ日常をおくれているということであり、何よりの幸福なのかもしれません。

 ここに仙台駅で2005年に撮った写真があります。家族旅行での一幕ですが、このあと私たち家族は気仙沼と女川でそれぞれ宿をとっています。
 どちらも活気にあふれた港町で、宿の大変美味な海鮮料理に舌鼓を打ったのを今でも覚えています。海沿いに宿はありましたから、その後は推して知るべし、でしょう。
 願わくば、またあの料理が食べられんことを。

 2016年3月13日 仲排

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2016'03.09.Wed
 前回の記事で「次回は東武まみれ」という話をしましたが、本当に休止期間中に買った東武の模型を列挙するだけなので、東武に興味のない方は何が何やらという感じだとは思います。そのあたりはご容赦くださいませ。というのも・・・
 
 画像は横浜IMONでの運転会の一幕ですが、頭の悪いことをしているという自覚は参加者全員で共有しておりましたw こんな運転会に参加するほど東武の模型を買いあさっていたということではあります。ちなみに画面手前のヤードはほかの参加者の方が持ち込まれたものですが、画面奥はすべて私が持ち込んだ車両です(^^;

 さてそれでは、前回の続きから参ります。

 前回は東急9000系が主役でしたが、今回はこちらが主役です。マイクロエースの20000系ですね。
 昨今は随分と強気な値段設定をするマイクロさんですが、これが出た当初はそこまで高い値段設定ではなく、あまり悩まずに通販サイトで購入手続きをした覚えがあります。思い返してみると、この電車を買ったことが東武ステンレス車の大量購入に拍車をかけましたね(^^;
 実車は日比谷線乗り入れ用として作られた車両で、18m3扉という私好みの電車です。モデルもそのバランスのとれた姿をよく再現しています。VVVF制御仕様車20070系も出ましたが、こちらはスルーしました。品番から言って両端の先頭車が5扉の20050型の発売も十分あり得ますが、果てさて同じ値段設定で出してくれるでしょうか・・・?

    
 さてお次は10000系。実車もなかなかダサいかっこいい電車ですが、GMはかなり忠実に再現していると思います。ライトの色味はもう少し何とかならんかとは思いますが。
 製品は塗装済みキットと完成品でのリリースで、この2本はともに塗装済みキットを組み立てたものですが、1本は自分で組み立てたのに対し、もう1本は中古ショップで組み立て済みとして安価で売られていたものを購入したものです。


 次も10000系列ですが、10030系と10000系のすれ違い、と単純に書きたいところですが、実は上でご紹介した編成とは2本とも全く別の編成です。というのも・・・

 奥の6両編成はこのように異系列で連結していたのでした。編成ごとに分解してみると


 こうなります。10000系の2連と10030系の4連を連結した6連と、10030系単独での6両編成とのすれ違いということでした。自分で書いていてもややこしい(^^;
 10000系列からのマイナーチェンジ版として製造された10030系は現在でも各線でよくみられる存在です。10030系はGMではかなりのバリエーションがラインナップされていますが、これはスカイツリーが建設される前に貼られていた古い社紋を付けたバージョンの完成品です。同じ趣の電車がすれ違っていくところを見るのは、やはりグッとくるものがありますね(^^)
  
 並んだステンレスの東武電車たち。東武20000系を購入するまでは、ステンレス車は鉄コレを除いて皆無だったのですが、短期間のうちにずいぶん増えてしまいました(^^;


 さてお次はご存じ8000系。鉄コレで製品化されたもので、長い10両編成です。10両編成というと東上線を思い浮かべる方も多いと思いますが(製品のプロトタイプも東上線仕様です)、行先を伊勢崎線用のものに交換しています。
 現在伊勢崎線系統で10両編成で運転を行うのは半蔵門線直通の列車のみになりましたが、以前は東武線内のみを走る10両編成というのも存在していました。例を挙げると、浅草にはホームの関係で6両以上の列車は入ることができないので、その直前の業平橋(現在のとうきょうスカイツリー駅)や、新栃木や太田などから下ってきて、北千住で後ろ4両を切り離して浅草行きとなる列車などが存在していました。
 今回は、またしてもいい加減ななんちゃって編成です(東上線仕様がプロトタイプなので、伊勢崎線仕様とするには諸々の改造が必要になる)が、4+4+2の10両編成とし、北千住で4両を切り離す運用を想定した整備を行っています。


 こちらはさらに解説が必要な車両ですね・・・って、見事にパンタが上がってないですね(^^;
 東武の電気機関車の後ろにつながっているのは黒いトキで、これは東武トキ1という貨車です。国鉄の貨車ではありません。
 その昔、まだ河原での砂利取りが盛んに行われていたころ(現在は景観保護や資源枯渇などの問題から規制されています)、砂利を積んで東武線全線を頻繁に行き来していたのがこのトキでした。晩年は石灰石の運搬用としても使われたようです。
 実車は、写真でも後ろにつながっている国鉄トキ25000の親戚ともいえるもので、妻板と台車形式が異なります。模型ではペアーハンズから妻板のパーツが発売されており、KATOトキ25000の妻板をはぎ取って交換するコンバージョンキットですが、妻板は連結してしまえば目立たないだろうという安易な考えのもと、2両のみ妻板を交換して、残りの車両はKATOトキ25000を塗り替えただけという体たらく。台車も全てそのままです。それでも、同じくペアハンから出ているデカールを貼ってやると、なかなかそれらしい出来でいい感じです。現在は6両のみの配置ですが、いずれは実車通りもっと長い編成にしたいと思っています。

 さて、東武に関してはこんなところでしょうか。「こんなところ」という割には買いすぎている気もしますが、気にしない気にしない(^^;
 それではまた(^^)ノ

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