地元の告知以外の公式な宣伝はフェイスブックだけだったようで、ネット上のうす~い記述を頼りという、なんとも心細い船出でした。
今回宿泊した宿はユートリー八戸という宿なのですが、ここが変わっていて、観光協会が運営する物産館やレストランなどの公的な商業施設が集まるビルの2フロアに宿泊施設があるというもの。土曜仕事(しかもクソ事案で残業)を片付けた後、最終の新幹線で八戸へ。安ビジホで寝て三沢へ向かいます。この辺の面々は、今まで3セク区間は新幹線だったので見たことなかったのよね。 pic.twitter.com/8c5OBtiwic
— すぎ (@kafunsugi) October 30, 2023
内装などは普通のビジホと変わらないわけですが、立体駐車場のエレベーターから6階に上がるとフロントがあるというのは新鮮でした。
青い森で三沢まで。三沢からは十鉄の代替バスで七百まで。お決まりのコースです。
三沢からバスで七百を降りて、てくてく歩いてここに。現役時代に見てみたかったところです。 pic.twitter.com/dK2lpjin8H
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七百の車庫跡に集う十和田観光電鉄の車両たち。もう少し早く生まれていれば、と思う私鉄の一つです。よく残っていてくれました。 pic.twitter.com/XbqK7cpANg
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十和田観光3401、東北では栗原のM15と並び称される、帝国車両製のすばらしいデザインの電車です。クハもあったんですがそちらは川車製でした。1両しか作られなかったのが惜しい。 pic.twitter.com/098i3TyRZk
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十和田観光って買い物ヘタだよなあ、と思う電車の一つ、元東急のモハ3603。まあそうでなきゃ残ってなかったろうとは思いますが。ライト形状がダメって人も多いんですが、自分としては結構好きなデザイン。 pic.twitter.com/TyzDTN0dcj
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たいした貨物量もないのになんで2台も電機買ったし……とかは言ってはいけないことなのだろう。まあとはいえ、十和田は買い物がヘタ pic.twitter.com/ODaK5Ka2Qq
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電化時に電車とともに日立から買ったED301。メンテナンスの面から電車と機器共通化したので、牽引力が落ちたという本末転倒感。十和田はやっぱり買い物が下手。 pic.twitter.com/YfHRGxfh4r
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個人的には凸型機関車で一番カッコいいと思っている機関車、ED402。優秀な機関車だったらしく貨物輸送に活躍した、けど、あの貨物取扱量じゃあ、別に買わなくても良かったんじゃないかなあ…… pic.twitter.com/CZd2kgszwT
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2両のトラ300。工事用として導入されて廃線まで在籍したから、イベント列車でよく見た。ちなみにこんなナリして昭和37年(1962)製造。ベースのトラ40000が同時期に製造されていたとはいえ、工事用に使うだけだったら廃車の適当な無蓋車買えばよかっただろ!やっぱり十和田は買い物がヘタ pic.twitter.com/Fhw3Sm2RP0
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まあなんにせよ、現役時代が感じられる施設が残されていることは、すばらしいことです。 pic.twitter.com/WoG0T7cO9l
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七百からふたたび十鉄代替バスに乗り、三沢に戻らず十和田市内へ。昔は電車があったとはいえ、この規模の地方都市で電車が来てないってのも不思議です。七百駅、Nゲージでペーパーキットとして出てましたっけ。外見も特徴的ですが、待合室しかなくがらんどうな中もびっくり。廃線直前の写真とか見ると、どうもずっとこのまんまっぽいですな。いくら末期には改札業務をしていなかったとへいえ、普通事務室とかそのまま残すものですが。。。 pic.twitter.com/d3zmtz4tbg
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その後は南部縦貫を見るべく移動するのですが、土休日1日2本の野辺地経由まかど温泉行きは2時間後。お腹もすいたので昼飯にします。
B1グランプリでグランプリを取ったバラ焼きを有名店で食べようと思ったら40分待ちw どうせ待つならとD51を見学。どうやら吹田→名古屋→旭川→滝川という経歴のカマのようで、東北本線とは関係なしw バラ焼きは、甘辛醤油ダレを豚バラと玉ねぎで炒めりゃ、そりゃうまいわな。 pic.twitter.com/QzZXeEYEPx
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十和田バラ焼きうますぎワロタ pic.twitter.com/ihM2nu4SEp
— すぎ (@kafunsugi) October 29, 2023
バラ焼き最高でした。すげえ待ったけど。
十和田から十鉄バスで一日2本のまかど温泉行きに乗り込み、ここも来て見たかった南部縦貫に。七戸駅は路線規模にはとても見合わない、立派な駅です。 pic.twitter.com/e4lHnG6gTh
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残ってるのが奇跡と思う、南部縦貫のヌシ。バスボディの設計流用だからデザインのことなんて考えてもいないだろうけど、ほんとかわいいね。ちょっと前だったら後ろにいるキハ10も見れたんだけどね。 pic.twitter.com/FaB9S0k1Ph
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このあと管理のおばちゃんが閉めるとのことだったので、礼を述べて辞しました。ここから七戸十和田まで3㌔ほど歩こうと思ったら「近くまで行くから乗ってきなよ」とおばちゃん。よく喋るおばちゃんの助手席で楽をしました。七戸からは仙台でやまびこに乗り換えて帰郷。仙台では一ノ蔵を痛飲しました pic.twitter.com/8QEtSzp6LE
— すぎ (@kafunsugi) October 30, 2023
青森にいたのは実質1日だけというあわただしい旅行でしたが、満足感の高い旅行でした。
おまけ(十和田市内にあった)
これはハロー……ミニストップですね! pic.twitter.com/Btq6UCYs85
— すぎ (@kafunsugi) October 31, 2023
成田ゆめ牧場、ここは観光牧場としてある程度の知名度があるところですが、鉄道オタク界隈ではナローゲージの天国として知られた場所です。日本では珍しい、鉄道愛好家によって運営される蒸気機関車の走る保存鉄道ですね。
この日は年に数度ある蒸気機関車の運転日。家族連れとともに、同業者の数も数多く見られました。
まずは成田の千両役者たちから紹介します。
7号機は新製機だというから驚き。このスタイルはポーター製の小型機をモデファイしたもので、模型の世界ではロングセラーの商品があることで有名ですね。
C型タンクの8号機もこれまた新製機。愛好家団体で蒸気機関車の製造能力があるというのは、国内では他にありません。
どうやらこの8号機、このあと解体されて別の機関車になるようです。
トレッスル橋を渡る6号機、これはメーカー物ですが、昭和15年製造という古典機です。メーカーは楠木製作所。台湾の基隆炭鉱で長く使われた車両を里帰りさせたもので、国内にはこのゆめ牧場にレストア中のもう1機があるのみです。
楠木製作所は戦前に小型ボイラを扱っていた会社で(現在もボイラ関係の会社として盛業中)、こうした小型機関車を各地の作業軌道に納入しましたが、現在ではその存在を知る人は相当なマニアのみとなっています。
こちらも貴重な加藤製作所製の4t機、5号です。この手の産業用機関車は残存数が少なく、どうやらこの個体は戦前製のものであるようで、それが動いているというのは何とも幸運な機関車です。使い勝手がいいのか、この日も入れ替えに構内を右往左往していました。
3両ある酒井工作所製のディーゼル機(101~103号のいずれかです)、立山砂防軌道で使われていたもので、普段はこの機関車が園内を走行しますが、この日の主役は蒸気機関車で、今日はお休みです。
建屋内には様々な車両がレストア待ちで眠っているのですが、その中からこれ、元井笠鉄道の客車が2両あります。大正時代の製造であるはずで、ぜひ乗ってみたい車両ではあるのですが、まだ普段は運転していないようです。
生きている蒸気機関車は楽しいです。軌間は610mmと狭いですが、遊園地の遊具と一緒には全くできません。
牧場内に敷かれているだけあって、こうやって眺めているとどこか英国を思わせるような、長閑な光景が素敵です。
やがて重連になりました。ポーターを思わせるタンク機関車が2両、お似合いです。
そのあと場所を移動します。この鉄道は愛好家の管理するものだけあって、マナーさえ守ればどこでも撮影自由。ずっと居ても様々なアングルがあり飽きません。
重連を期待して待っていると、列車が向こうから近づいてきます。
3台つながっています。どうやらこの1回きりの特別列車だったようで、いつもより多めにシャッターを切りました。
コスモス畑の向こうからやってくる蒸気機関車、わくわくしますね。
3機の汽笛が折り重なるようにして通過していきます。来てよかったと思った瞬間です。
晴天にも恵まれて、いい写真が撮れました。あらためて運営されている方々に感謝を表します。
動画でも撮りました。こちらもあわせてご覧ください。
おわり。
松本で一泊して朝から松本電鉄に乗りに行きます。
これに乗って
とりあえず新島々へ。ここは新しい駅なので見るべきものはそんなにないんですが、
島々の旧駅舎が保存されています。なかなか好きな駅で、某社からペーパーキットで出ていますね。山小屋風なのがいかにもアルプスへの中継地点と言った感じです。
しかし、中はがらんどうでした。何かで活用できればいいと思うんですけどね。
新村の車庫にもご挨拶。はるか昔に来ているはずなんですが、こんなんでしたっけ? 少なくとも建屋は建て替わっていますね。
新村の主にもご挨拶。撮りやすい位置にあって助かりました。この機関車好きなんですよね。西武のも見たいですが、どうでしょうかねえ。
ちなみにこの位置には東急5000がいましたが、愛好家の手によって先般群馬県某所に運ばれた様子。頭が下がることです。
これも新村の主?
車庫に行ったあとはやっぱり蕎麦。三日連続蕎麦です。どれだけ好きなんだ。。。
舞茸の天ぷらも好物で、これもおいしゅうございました。個人的に海老天はそこまででもなく、むしろ野菜の天ぷらのほうが好みなので、野菜のみの天ぷら盛り合わせを出す店がもっと増えないかなあ、などと戯言を考えています。
もう一度松本城に。昼間の姿も荘厳でいいですね。せっかくなので天守閣に登ろうと思ったんですが、なんと2時間待ち。コロナ対策で入場者を絞っているようです。そんなことをしている暇はないのでそそくさと移動。
旧開智学校、明治の和洋折衷の学校建築としては最古級のものです。暇だったから寄ったという、あんまり期待はしていない訪問だったんですが、けっこうおもしろかったです。
展示物は撮影自由という豪胆さがすばらしい。その中に当時の世相を知れるものもあるので紹介します。
スペイン風邪で休校の時の校長の日記。インフルエンザとかも当時から名前として知られていたようで、ちょくちょく「何人休んだ」とか書いてありました。
ある女子学生の戦時中の日記。1945年の4月に「敵の航空母艦2、巡洋艦1、艦種不詳6、駆逐艦1、輸送船5撃沈」はさすがに大本営すぎるでしょう。。。東京大空襲が3月なので、さすがに疑った人もいたんじゃないかなあ。
このあと、ポポンデッタに行きますが、バスが遅れて滞在時間はわずかに10分。中古コーナーを流し見ただけで終わりましたw
で、これに乗って撤収。実はあずさに乗るのははじめて。高尾まで沿線に変化がなくて正直飽きましたw
このあとポポンデッタを流し見した腹いせか、アキバで模型を散財したのはまた別の話です。
おわり。
遅めのお昼も蕎麦です。長野に来て蕎麦しか食わねえとか、ミーハーもいいところですな。うまいけども。エキナカの地場のチェーンですが、これがうまいのなんのって。
蕎麦食べて土産買ったらいい時間になったんで、移動することにします。さんざん宇都宮線で乗り慣れた211、この色になってからは初めて見ます。
ちなみに、特に意識してなかったんですが長野発大月行きとかいう長距離列車です。これで松本まで乗ります。
有名な姨捨も通りました。さすがに日本三大車窓、ずっと車窓を見ていました。が、写真を撮ったはいいものの、とりあえず撮りましたと言わんばかりのもので、やっぱり夜景は腰据えて身構えて撮らなきゃダメですね。
そんなこんなで松本に到着。宿に荷物を預けてカメラ担いで出かけます。で、到着、したのはいいんですが、夜景には三脚と一眼レフでの撮影は不可欠ですが、その三脚の取り付け金具をサブカメラにくっつけっぱなしにして、宿に置きっぱなしにしてしまいました。もう1回宿に戻って無駄足です。
これが撮りたかった。このために無駄に1往復しました。
そのおかげで食べたかったラーメン屋に間に合いませんでしたとさ。
三日目に続く。
3日間の旅行の中日は、ほぼすべてを長電に費やすと決めていたので、悔いの残らないようにあちこち回ることにしました。
温泉で朝風呂♨をしっかりキメて、あったまった体で出陣です。
まずは撮影ポイントの近くの信濃竹原駅で下車。無人駅ではありますが、有人時代の年季の入った駅舎と、交換駅の風景、それに貨物側線まで残る、このままジオラマにしたい駅です。ここでずいぶん時間を使いましたが、長電の信州中野~湯田中温泉間は閑散区間なので、時間には余裕があります。
撮影ポイントに到着。夜間瀬川の橋梁、有名ポイントですね。河原に下りたり、電車と同じ高さで撮ったり、視点を変えるといろいろな表情で撮れる楽しいポイントです。
空を強調したり
鉄橋の様子を写したりしても楽しいです。掲載しませんが、土手の下で築堤を登ってくる列車も撮れます。
いろいろ撮って遊んでいましたが、ふいにもっと遠くから俯瞰で狙えるポイントがあるのを思い出しました。キョロキョロ見渡してあの辺かなと見当をつけ、てくてく歩きます。
ずいぶん遠くまで歩いたようなポイントですが、そこまで遠くはありません。歩道で人通りがあることを除けば、俯瞰ポイントとしてかなりいいですね。
この日は雨ではなかったのですが、一瞬虹が出たのでこれも撮っておきます。強風ではあったので、川の水しぶきが空に上げられたのでしょうか。あいにく3000系が来る頃には虹は消えていました。
この写真を撮って満足したので、ポイントを変えることにしました。
リンゴ畑と3000系、この電車にりんご色の赤帯はとても似合っていると思います。
中野を目指して急坂を下っていきました。この情景が見れるのもあと少しでしょうか。
このあとは車庫に立ち寄るために須坂へ戻ります。
須坂駅、どことなく国鉄の中型駅チックでとても好きな駅です。駅の構内では以前と相変わらず、須坂駅名物の農産物を売っていました。
須坂の車庫をまわっていると、少し前に運用を外れた非冷房車もいました。長電は廃車した電車をしばらくとっておくんですが、何か意味があるんでしょうかね? 単なる部品取りでしょうか。
追う者と追われる者がここでも同じと言うのは、皮肉なものです。旧交を温めていたりするのでしょうか。この光景もあと少し、ということになりそうです。
左の電車に乗って長野に向かいます。
こうやって客待ちをしていると、営団時代を思い起こします。営団時代のこの電車には乗ったことがあって、幼少期だったために小さいドアから外が見えないのを不満に思ったのをよく覚えています。
私は大好きな電車ですが、これでお別れになるでしょう。ここで長電をあとにしました。
長くなったのでつづきは別の記事にすることにします。
つづく。