2017'02.28.Tue
前回、特急あしずりを高知まで乗り通さずに伊野で下車したことは触れましたが、伊野で下車した理由はこれです。
まっすぐ進んでいるのが土佐電鉄伊野線の線路ですが、この途切れたレールの先に何があるかというと、、、
こんな場所に出ます。この場所、かつて伊野車庫と呼ばれた車庫で、現在は廃止されているのですが、写真でわかるようにその痕跡がはっきりと見て取れます。
以前から来たかった、家の軒先をかすめて怪しげな線路が敷かれているこの場所ですが、現在は駐車場や、地域の子供の遊び場として使われているようでした。伊野の券売所を兼ねた電停待合室も、以前は昭和の路面電車の面影を色濃く残していました。もっとも、乗った限りでは今の時代まで有人のままというわけには、どうにもいかなそうな気がしましたが。
伊野線はガードレールもないこんな幹線道路沿いを走ります。道路や民家を掠めながら進む併用軌道を単線で結び、途中の交換駅ではタブレット交換の様子も見ることができます。
こうした運行形態は、名鉄美濃町線の廃止を指をくわえてみているほかなかった私としては、感慨深いものがあります。
伊野線ではりまや橋まで行きました。土佐電鉄は伊野線と、伊野線に直通運転を行う後免線に対して直角に交わる桟橋線で構成されており、その交差点ははりまや橋電停で、土佐電鉄を乗りこなすには自然とこのはりまや橋での乗降が多くなります。
よって、橋自体には全く興味はなかったのですが、せっかく来たからと1枚だけ写真を撮りました。感想としては、日本3大ガッカリ観光地の座を一向に明け渡さないことに納得の一言でしょうか。
はりまや橋には興味はありませんが、はりまや橋にやってくる電車には興味津々なので引き続きカメラを向けます。最古参の200形の、それもトップナンバーが普通にやってきます。1950年竣工とありますから、2017年現在で車齢は67年ということになりますね。いくら車体更新を行っているといっても、さすがに物持ちがよすぎる気がします(^^;
名鉄軌道線の忘れ形見、590形も普通にやってきます。土佐電鉄の電車は、車と同じようにブレーキをかけるとテールランプが点くのですが、この590形も例外ではなく、LEDのテールランプがブレーキのたびに点灯するのが面白いです。
この590形も1957年製の古老で、当然吊りかけ制御。全国的にはほとんどが淘汰された吊りかけ制御の電車ですが、ここ土佐電鉄ではごくごく普通にやってきます。と言いますか、吊りかけ制御以外の方式を持つ電車が、全電車の中で試験的に製造されたリトルダンサー100形の1編成だけというのは、さすがに問題がある気がします。
はりまや橋の交差点を600形が行きます。
車両にバラエティがないせいであまり注目されない土佐電鉄ですが、主力の600形も1957年製造初年度の吊りかけ駆動でありますし、吊り掛け駆動車が最後まで残るのは、この土佐電鉄のような気がします。もっとも、吊り掛け駆動車が淘汰されるのが先か、路線がなくなるのが先か、という問題も忘れてはいけないところですが・・・。
夜の帳も落ちかけてきたころ、山陽電鉄からやってきた800形と、車体更新車1000形が並びます。そろそろ夜ご飯にすることにしましょう。
いろいろ調べてみましたが、さすがは酒とカツオの街高知。どこに入ってもハズレを引くことの方が少ないようです。その中で、名物であるカツオの藁焼きは翌日の昼間に専門店で食べると決めていたので、カツオ以外もおいしいお店をリストアップ。高知の地魚を豊富に扱う魚頭大熊さんの暖簾をくぐりました。
まずはお決まりのビールとカツオで完敗乾杯しております。ちなみに目の前をフグが泳いでいますが、高いばっかりであまり好みではないのでオーダーしていません。言う必要もないかもしれないですが、やっぱり高知のカツオはうまかった。
お次は刺身盛りと貝と野菜の炒め物これも実に美味でした。特に刺身は、普段の飲み会などですと遠慮して他の人に譲ることもあるのですが、一人旅ならではの独り占めで、これは他人には渡したくないというものばかりでした。
さらにこちらはウツボのから揚げ。食材としてはあまりメジャーではない魚ですが、中国四国地方ではわりに食べられている魚のようで。白身魚のフライをあぶらっぽくしたような料理でしょうか。お酒に大変よく合いました。ごちそうさまでした。
ビールを飲み、日本酒まで飲み干してへべれけになった私は、ホテルとは逆方向を延々と歩き、高知の街で一人迷子になった所で、二日目は終了となります。三泊四日の行程の内半分が消化され、三日目は香川に移動となります。
それでは次回もお楽しみに(^^)ノ
まっすぐ進んでいるのが土佐電鉄伊野線の線路ですが、この途切れたレールの先に何があるかというと、、、
こんな場所に出ます。この場所、かつて伊野車庫と呼ばれた車庫で、現在は廃止されているのですが、写真でわかるようにその痕跡がはっきりと見て取れます。
以前から来たかった、家の軒先をかすめて怪しげな線路が敷かれているこの場所ですが、現在は駐車場や、地域の子供の遊び場として使われているようでした。伊野の券売所を兼ねた電停待合室も、以前は昭和の路面電車の面影を色濃く残していました。もっとも、乗った限りでは今の時代まで有人のままというわけには、どうにもいかなそうな気がしましたが。
伊野線はガードレールもないこんな幹線道路沿いを走ります。道路や民家を掠めながら進む併用軌道を単線で結び、途中の交換駅ではタブレット交換の様子も見ることができます。
こうした運行形態は、名鉄美濃町線の廃止を指をくわえてみているほかなかった私としては、感慨深いものがあります。
伊野線ではりまや橋まで行きました。土佐電鉄は伊野線と、伊野線に直通運転を行う後免線に対して直角に交わる桟橋線で構成されており、その交差点ははりまや橋電停で、土佐電鉄を乗りこなすには自然とこのはりまや橋での乗降が多くなります。
よって、橋自体には全く興味はなかったのですが、せっかく来たからと1枚だけ写真を撮りました。感想としては、日本3大ガッカリ観光地の座を一向に明け渡さないことに納得の一言でしょうか。
はりまや橋には興味はありませんが、はりまや橋にやってくる電車には興味津々なので引き続きカメラを向けます。最古参の200形の、それもトップナンバーが普通にやってきます。1950年竣工とありますから、2017年現在で車齢は67年ということになりますね。いくら車体更新を行っているといっても、さすがに物持ちがよすぎる気がします(^^;
名鉄軌道線の忘れ形見、590形も普通にやってきます。土佐電鉄の電車は、車と同じようにブレーキをかけるとテールランプが点くのですが、この590形も例外ではなく、LEDのテールランプがブレーキのたびに点灯するのが面白いです。
この590形も1957年製の古老で、当然吊りかけ制御。全国的にはほとんどが淘汰された吊りかけ制御の電車ですが、ここ土佐電鉄ではごくごく普通にやってきます。と言いますか、吊りかけ制御以外の方式を持つ電車が、全電車の中で試験的に製造されたリトルダンサー100形の1編成だけというのは、さすがに問題がある気がします。
はりまや橋の交差点を600形が行きます。
車両にバラエティがないせいであまり注目されない土佐電鉄ですが、主力の600形も1957年製造初年度の吊りかけ駆動でありますし、吊り掛け駆動車が最後まで残るのは、この土佐電鉄のような気がします。もっとも、吊り掛け駆動車が淘汰されるのが先か、路線がなくなるのが先か、という問題も忘れてはいけないところですが・・・。
夜の帳も落ちかけてきたころ、山陽電鉄からやってきた800形と、車体更新車1000形が並びます。そろそろ夜ご飯にすることにしましょう。
いろいろ調べてみましたが、さすがは酒とカツオの街高知。どこに入ってもハズレを引くことの方が少ないようです。その中で、名物であるカツオの藁焼きは翌日の昼間に専門店で食べると決めていたので、カツオ以外もおいしいお店をリストアップ。高知の地魚を豊富に扱う魚頭大熊さんの暖簾をくぐりました。
まずはお決まりのビールとカツオで完敗乾杯しております。ちなみに目の前をフグが泳いでいますが、高いばっかりであまり好みではないのでオーダーしていません。言う必要もないかもしれないですが、やっぱり高知のカツオはうまかった。
お次は刺身盛りと貝と野菜の炒め物これも実に美味でした。特に刺身は、普段の飲み会などですと遠慮して他の人に譲ることもあるのですが、一人旅ならではの独り占めで、これは他人には渡したくないというものばかりでした。
さらにこちらはウツボのから揚げ。食材としてはあまりメジャーではない魚ですが、中国四国地方ではわりに食べられている魚のようで。白身魚のフライをあぶらっぽくしたような料理でしょうか。お酒に大変よく合いました。ごちそうさまでした。
ビールを飲み、日本酒まで飲み干してへべれけになった私は、ホテルとは逆方向を延々と歩き、高知の街で一人迷子になった所で、二日目は終了となります。三泊四日の行程の内半分が消化され、三日目は香川に移動となります。
それでは次回もお楽しみに(^^)ノ
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茨城県古河市在住。「いばらぎ」ではなく「いばらき」です。
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