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豚汁模型!

鉄道模型のごった煮をゆるくほそぼそ楽しむブログ

2024'12.02.Mon
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2016'01.11.Mon
真岡というと自宅から1時間半ほどということもあり、我が家では「冬にいちごを食べに行くところ」という印象が強いのですが、ここ最近で蒸気機関車の数がずいぶんと増え、北関東では随一の鉄道ミュージアムになってきた感があります。
 今回はその真岡駅に隣接する「SLキューロク館」にD51が新たに加わり、整備が完了したということでお披露目イベントがあり、参加してまいりました。あれこれやっているうちにずいぶん経ってしまいました(^^;
 まずは新加入組以外の紹介を。


 貨車が多いところなので、少し省きながらご紹介。貨車は来歴がはっきりしない車も多く、不明な点が多々ありますがご容赦ください。
 写真中央は蒲原鉄道のワ12で、1930年に新潟鉄工で作られた車です。この当時にあらゆる地方私鉄に納入されていた標準車ですね。
 その左は1940年に日本車両で作られた一畑電鉄ト60です。1940年製造というには少し古風な外観なのですが、本当に1940年製造というのかすらもはっきりしないのが、貨車の面白いところであり、難しいところでもあります。
 さらに左は国鉄のヨ8016です。真岡に来てずいぶん経っていた車両で、整備がなされず荒れ放題だったのですが、かなり綺麗になっていました。

 この編成のしんがりを務めるのがワフ16です。この車も複雑な経歴を持っています。
 元国鉄の木造ワフを水島臨海鉄道で鋼体化したもので、案内板には製造は国鉄鷹取工場で1910年製と書かれていますが、上回りは1958年に新しく作られたものです。
 以上、ヨ8000を除いた3形式はいずれも地方鉄道で過ごしてきたということもあって、ここではなくてもっとふさわしい場所で保存してほしいという気もしますが、適切な管理のもとで保存されるというのは大変に喜ばしいことで、歓迎です。


 貨車はキューロク館の対岸にも留置されていますので簡単にご紹介します。戦後の標準型ヨ3500を二段リンク化して制限速度を引き上げたヨ5000です。真岡には2両いますが、表記類は読めなくなっています。ごらんのとおり、状態は悪いです。


 こちらも車掌車の一種ですが、荷物室も備えた緩急車です。全国に広汎に使われたワフ29500ですが、こちらは前掲のヨよりは状態はいいです。以前はもう1両いたのですが、こちらは行方不明。解体されたんでしょうかね。
 そのほかトラ70000が数両いますが、番号がはっきりしないため割愛します。


 キハ20は2両存在します。上が247番、下が213番です。この2両が実際に国鉄真岡線で走っていたかどうかは定かではありませんが、3セク転換前の真岡線の主力車両はまぎれもなくキハ20でした。個人的には蒸気機関車よりもこちらを動態保存していただきたいところですが、いすみ鉄道などの話を聞くに、現実は簡単ではないようですね。


 同様にDE10も2両存在します。上は1014号機、下は95号機です。どちらもDE10ですが、来歴はずいぶんと異なります。
 1014号機は客車の回送用に導入したDE10の部品取りとして大阪からやってきた車両でしたが、元をたどるとJR四国のアイランドエクスプレス牽引機という華々しい経歴の持ち主です。近年まで大阪貨物ターミナルでスイッチャーとして働いていました。
 95号機は国鉄時代に廃車になった機関車で、ずいぶん長いこと真岡に放置されたままになっています。DE10の0番台は早期に廃車されたものが多く貴重な生き残りなのですが、真岡での扱いは粗雑の一言に尽きます(^^;

 さて、施設の名称が「SLキューロク館」というくらいですから、9600型ももちろんいます。
 この49671も一癖ある機関車でして、通常運転席は左側にあるのが常識ですが、なんとこの車は右側に運転席がついているのです。これは、所属していた五稜郭機関区時代、働き場であった青函連絡船の航送貨物の積み込みを行う際に、構内が右カーブの連続であったために運転士の視界を確保する必要性から改造されたものです。
 面白いのが、この機関車は1976年に廃車となるのですが、末期に右側運転台のまま他区へと移っており、68年には北見、廃車寸前の75年には滝川(廃車前提の移動?)に転属しており、他車が左側に運転台があるにもかかわらず、この機関車だけは右側運転台のまま仕業に就いていたのです。おそらくは入れ替え専用機であったからであると思われますが、現場ではたいそう扱いづらい機関車であったことは想像に難くありません。
 そんな特殊な機関車が、実は「生きている」というのは、存外にすごいことなのかもしれません。

 この黒光りした動輪からもわかるように、この機関車は「生きて」います。石炭ではなく圧縮空気を利用してのもののため、牽引力は往時には到底及びませんが、それでも動いている蒸気機関車というのは迫力のあるものです。

 そんな9600の後ろには青い客車が。サボには「日本海」の表示がありましたが、これはスハフ44のためフェイクです。
 スハフ44という車両は、80年代の終わりまで長らく活躍したスハ43やスハフ42の北海道版で、道内では急行ニセコを中心に幅広く活躍していました。このスハフ44 25も北海道内で長く活躍した車両でしたが、青函連絡船が退役する際に羊蹄丸の中に取り込まれ、長らく船の科学館の収蔵品として保存されていた車両です。私も船の科学館で見た覚えがあります。
 その後、羊蹄丸が解体されることになり、中に保存されていたこの車は真岡鉄道に引き取られることになりました。
 現在では保存車兼休憩室となっているのですが、その内部がまた素晴らしい。


 羊蹄丸に取り込まれた際に何も改装をしなかったため、本当に国鉄そのままの状態で保存されています。あまりにそのままなので、普通に乗ってしまって大丈夫なのかといぶかしんだくらいです。
 どれだけの人がこの車内のコンディションに気づけるのかはわかりませんが、大切に引き継いでいってもらいたいものです。


 さて、いよいよ本命のD51です。といっても、この日は公開初日だったこともあり満足な写真は撮れず。申し訳程度に写真を載せて、プロフィールの紹介と行きます。
 真岡に来る以前は静岡県で保存されていたD51 146ですが、生涯を北海道で暮らした根っからの道産子です。1938年に追分に配置されてから、1976年に岩見沢で廃車になるまで、一貫して道内で活躍してきました。長万部に長く配置されていた機関車で、長万部は函館本線を中心に運用していましたから、49671とももしかしたら函館で顔を合わせていたかもしれません。
 状態はいたって良好で、今にも走り出しそうなほどによく整備されていました。ここの蒸気機関車はどれもペンキを塗りたくった無粋なやりかたはしておらず、さすがは実際に機関車を動かしている会社だな、と感じました。
    
 9600は圧縮空気での動態保存でしたが、いよいよこちらは本当に蒸気で動いている機関車です。
 真岡鉄道が蒸気機関車を多数持つきっかけとなったC12 66です。こちらはもうお馴染みですね。現役時代は中央本線の上諏訪機関区に長く在籍した機関車で、入れ替え用としての在籍だったようです。
 最近の検査で異常が見つかったようで、早く復帰してほしいですね。

 そして蒸気で動くもう1両は、こちらもお馴染みC11 325です。この日の主役でした。
 新製配置は茅ケ崎で、茅ケ崎区にSLの配置がなくなるまで相模線で活躍しました。その後米沢に移って入替と左沢線用に使われ廃車となります。左沢線のSLサヨナラ列車を牽引したのもこの機関車です。
 真岡鉄道の所属ではありますが、使い勝手がいいこともあって他所へ貸し出されることの多い機関車で、真岡鉄道を走っている姿というのは少し撮りづらいという変わった機関車です。

 最後は、4機の機関車すべての汽笛吹聴を行ってイベントは終了となりました。いやあ、うるさかったのなんの(笑) しかし蒸気機関車の迫力ある姿は、普段電車を追っかけている私からすれば非日常であり、楽しいイベントでありました。

 それでは今回はこの辺で。次回は模型になると思います。

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茨城県古河市在住。「いばらぎ」ではなく「いばらき」です。
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