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豚汁模型!

鉄道模型のごった煮をゆるくほそぼそ楽しむブログ

2024'04.24.Wed
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2019'09.03.Tue
ずいぶん間があいちゃったのでどこからはじめたもんかと思いますが、とりあえず進んでいます。

山の形を発泡スチロールでおおまかに製作。このあたりはあとで色々な素材で覆ってしまうので適当です。

 同時に、あまった段ボールで崖の芯になる部分を製作。ここも覆われて緑化されるはずなので、形状は適当です。

 山は取り外しができるように、化粧板を兼ねた板材をこの段階で取り付けています。切込みが入れられているところを取り外すと、線路の整備や脱線の復旧ができるという寸法です。おそらくはそのうちに簡易的な取っ手が取り付けられるはず。

 開いている隙間は紙粘土で埋めますが、これもこの段階ではかなり適当です。あとで苦労しそうな予感もしますが、どんどん先に進むために気にしないことにします。

 紙粘土で隙間を埋める際、電信柱や架線柱など、運搬の際に障害になりそうなものは取り外せるよう、予定地にネオジム磁石を仕込んでおきました。釘で柱が立つようになる、はずです。

 架線柱はこんな感じ。セロテープでの仮止めですが、柱の根元に釘が見えると思います。

そして、定番のプラスタークロスで覆いました。ここまで来るとレイアウトを作っている感じになりますね。
 現状ではもう少し進んでいますが、今回はとりあえずここまでにします。それではまた次回に。

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2019'08.31.Sat
第一回の続きです。
 尾小屋の山を下り、小松駅前でレンタカーを返したあとは、一路福井へ向かいます。

 尾小屋でずいぶん時間を使ってしまったので、もう夕暮れは近いです。まずはえちぜん鉄道三国芦原線のこの電車で三国港へ。

 三国港駅、無人駅でしたが、個人的にはかなり好きな部類の駅です。プラットホームと平行に出入り口があるのも、スペースの取れないレイアウト向きの造形をしていますね。
 日没まであまり時間もないので、夕飯にすることにします。三国港まで来たとなれば、夕飯はもちろん海鮮です。


 どうですかこのブリの照りっぷりは。そして何より甘エビの甘さと言ったらなかったです。流石はすぐそこが日本海な港と言ったところです。噛みしめながら食べました。
 個人的な旅のポリシーとして、ほかのところの金を抑えてでも、食べ物はその土地の名物を食べると決めているので、やはり北陸に来たら海のものにお金を使うことになりますね。
 この日はここで日没タイムアップ。福井に帰って駅前でバルブ撮影でもしようかと思っていたのですが、あいにくこの日はお祭りで駅前まで電車が入ってこない日。駅前のビジホでふて寝と相成りました。

 翌日は、前日に海鮮を食っていて乗り逃した路線を攻めます。まずはえちぜん鉄道のもう一つの路線である勝山永平寺線に乗車します。
 ちなみにいつもだったら車両を撮りまくるところですが、愛環のおさがりと元119系はあまり趣味対象として興味がわかないので、スナップ程度にとどめました。時間もないですしね。ではなぜ勝山永平寺線に行ったかというと、以前からずっと行ってみたい駅がありました。


 終点の勝山駅の一つ手前、比島駅です。道路との距離がとても近い駅で、まさしく地方私鉄という感じの駅で、写真で見てからとても気になっていた駅です。
 こういうジオラマ欲しいなあと何度思ったか。昨今では無粋な柵やフェンスが設置されてしまうことが多い中、人と電車の距離がとても近い、雰囲気のある駅です。


 比島駅を堪能した後は、比島は利用客が少なく普通電車でも通過してしまう電車も多いので、勝山駅までテクテク歩きます。時折やってくる電車をスナップしながら、ちょっとしたハイキングです。

 勝山駅に到着すると、保存してあるテキ6がお出迎え。厳密にいえば機関車のようですが、こういう電動貨車が一家に一台欲しいですね(?)
 勝山駅から福井駅まで一気に戻り、お次は福井鉄道です。

 今回の旅で思わぬ発見だったのが、この元名鉄の電車、なかなかカッコイイんですね。福井での塗装もかなり似合っています。スカーレット一色よりもイケメンなのではないかと思います。
 福井駅前、ずいぶんと利便性の高い構造になっていました。路面電車を中心に、かなり頭とお金を使って整備されていて、とても好印象でした。あとで書きますが、富山駅もかなり便利な構造で、金沢は見た目ばっかりで置いて行かれているなあというのが正直な感想です。
 この元名鉄車に乗って、車庫のある北府を目指します。

 北府に着きました。使わない車両が並べて置いてありますね。一番後ろの600形はもちろん、土日なのでドルトムント市電も動きませんが、ここに来た目的は別にあります。はてどこにいるやら。。。

 ああ、いました。これに会いたくて来たのに、車庫の中でしたかなり残念。現役で稼働する最後の地方私鉄電動貨車といってもいいと思われるデキ11、引退の噂もあるだけに、全身を見たかったのですが、日ごろの行いが悪いようです。夏でも外に出ていると聞いてはいたのですがねえ。。。
 ちなみに、200形にも期待して行ったのですが、車庫の奥にチラッといるのを(おそらく)確認。デキ11のすぐ後ろにいるはずです。庫内にいたということは、整備をしているんですかね? 保存の動きがあるとかないとか話も聞こえてきますが、とはいえこちらも見ることはできず、再訪を誓いました。

 お次は武生まで行って、JRで金沢に戻ります。余談ですが、福井鉄道とJRの武生駅ってずいぶん離れてるんですね。暑い中結構歩きました。
 金沢まで戻ったら、初日に行きそびれた北陸鉄道浅野川線へ。ここにも大変魅力的な車庫があります。
 
 終点の鶴来駅です。本社機能があった時期もあるようで、立派な駅です。現在では終点ですが、最近までもう少し先の加賀一の宮まで線路は伸びていました。

 この先は線路が残っていましたがすでに廃線で、少し歩いたところからどうやら遊歩道兼サイクリングロードになっているようです。加賀一の宮駅の駅舎も残っているようですが、今回は時間の関係でパス。

 車庫の調査でやってきたわけですから、北陸に滞在できる時間は限られていますので、再訪の際に立ち寄れることを願って、鶴来駅をあとにしました。車庫取材の成果については同人誌にて。

 このあとやってきた電車でそのまま野町まで乗り通し、バスを使って金沢駅へ戻りました。
 この日は高岡に宿をとってあったので、3セクで金沢から高岡へ。高岡に宿をとったのは、2日目の余った時間で万葉線を見に行けるかもしれないという算段があったからなのですが、ほかで時間を使ってしまい、この日はタイムアップ。素泊まり3500円の安旅館に投宿しました。

 このレベルで4000円を切るのは立派です。部屋のドアが襖なので、アレな目的では使えない気がしますが(^^; 小さいですが浴場付きなのでオススメです。場所は高岡大仏のほど近くにあるので、興味がおありの方は探してみては。

 相変わらずの地方都市の場末の飲み屋で痛飲となり、2日目終了です。お疲れさまでした。氷見産だというアジ、めっちゃうまかったです。
 翌日は3日目と相成りますが、ある理由でかなりの早起きが予定されていました。しこたま飲んでいますが、はたして起きれるのかどうか・・・?

 つづく

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2019'08.17.Sat
来年はクソ国民的行事のせいで開催されないというJAM、日程的に無理があったのですが、行ってきました。
 すでにツイッターのほうに気になったものはあげていますので、そちらの文章・写真を流用することでお茶を濁したいと思います(ただのサボり
 内容としては、気になるのはやはりレイアウト関連の展示で、その中でも見たことのないもので気になったものを取り上げてみました。












 こんなところでしょうか。ビッグサイトでやるだけあって出展料はかなりかかるのですが、それでもいつか自分で作ったものを出してみたいなあと思います。コミケでわかりましたけど、お店屋さんごっこは楽しいですよ。まあJAMである必要はないんですけれどもね。

 会場の発表で気になったのはこのあたりでしょうか。

 トミックスの大きい客車、どれもストライクなので困ります。オハネフ12を1両くらいなら・・・今度再生産するし・・・なんて買い始めると深い沼へ真っ逆さまなのは分かりきっているので、必死で右手が「購入する」ボタンを押さないように押しとどめている次第。

 KATOのブースより、これ面白そうですよね。まあワイドトラムなんかの応用なんでしょうが、KATOに限らずトミックスレールの路面製品もこうやって使う人いましたからね。

1/24だそうで、とにかくでかいです。おいてあれば楽しいと思いますけど、買う人いるのかな。。。

 新製品発表ではないですが、IMONのブースで165系と80系のフル編成が休んでおりました。いいなあとは思いますが、思うだけですw

 その他、個人的な散財などを。
 関西私鉄の中では神戸電鉄がとでも好きで、鉄コレも集めているのですが、ちょっと前に出たマイクロエースのこれは、4両で2万円を超えるお値段に恐れおののいて手を出せずにいました。
 しかしマッハ模型のブースで、新品売れ残り品が諭吉さん1枚+税で出ていたのを衝動買い。いい買い物をしたと思います(財布は軽くなった

 戦前のディーゼル車研究では右に出る者はいないであろう湯口さんの、風前の灯火であった1960年代のローカル私鉄を旅した旅日記がプレスアイゼンバーンから出ていたのを知ったのは少し前のこと。その時にはもうどの巻も売り切ってしまった後で、中古で出ているものをちまちま買い集めていまして、すべてを集めきることができました。
 魑魅魍魎のアヤシイ車両たちを眺めるのはとても楽しいものです。

 北陸旅行のレポートは現在鋭意執筆中です。もうしばらくお待ちください。



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2019'08.15.Thu
ここのところすっかり地方私鉄にぞっこんで方々回っているのですが、そんな中でアクセスの悪さから、北陸地方はどうしても大きなところが残ってしまっていました。この夏に何とかまとまって休みが取れたので、今までにいったことがないところを駆け足で回ってきました。
 北陸に行くといっても、基本的に貧乏旅行なので、新幹線は使いません。高崎から金沢行きの夜行バスが出ていますので、まずはそれを使って金沢へ。能登とか越前とかあればそれで行くんだけどなあ(戯言
 金沢でバスを降りて早朝、まず向かったのは、北陸鉄道です。

 時間の関係でこの日訪れたのは浅野川線のみ。改札を入るともうこれです。渋谷駅かって話ですよね。京王3000系は京王時代にずいぶん乗ったし撮ったので、思い入れのある車両です。

 まずは終点まで乗り通して内灘駅へ。最近のライフワークになっている、車庫巡りです。浅野川線の運転関係の施設はたったこれだけ。見えている範囲で終わりです。浅野川線の所属車両は2連5本のみですから、これだけでも何とかなりますね。

 ここには3000系の初期車がいて、どうやら近いうちに置き換えられるようで。左が初期車、右が後期車ですね。初期車の最大の特徴は片開き扉であることですが、裾の絞りにも特徴があるのがよくわかりますね。


 そのまま取って返して金沢駅に戻った後、北陸本線で粟津を目指します。国鉄型電車もまだまだやってきましたが、今回の旅では乗れませんでした。写真は七尾線の415系。415系とは言うものの、113系初期車に交流機器を乗せたものですから、ずいぶん年季が入っています。
 粟津から炎天下15分ほど歩いて、目指すのはどこにでもありそうな、なんでもない児童公園です。ここには私にとって特別なお宝が眠っています。
 
 もしもタイムスリップできるなら見てみたい光景の最有力候補である尾小屋鉄道の車両が保存されています。しかも動く状態で、です。廃止から40が経とうとする車両の維持には並々ならぬ熱意があるはずで、保存会の皆様の奮闘には頭が下がる思いで、カンパも多めに寄付してきました。

 まずはキハ1。1937年製造の戦前生まれですが、まだまだ現役です。残念ながらこの日はお休み。

 こちらはキハ3。「1803」と書いてありますが、これは前身の遠州鉄道時代の番号で、書類上でもキハ3正しいのですが、尾小屋鉄道ではそのままに使っていました。戦後すぐの生まれで、こちらも現役。
 普段は尾小屋の山の上にいるのですが、この夏は小松バス創立100周年にあわせて山を下り、粟津の地で昔馴染みと再会しています。

 古めかしいロッド駆動のDC121も現役車。尾小屋鉄道に2両いたディーゼル機関車のうちの1両で、最晩年までラッシュ時に客車を牽いて活躍していました。

 手前がホハフ3、奥がホハフ8。どちらも廃線時まで多客時に機関車や気動車にけん引されて活躍していた客車です。こちらも現役なのですが、あまり動くことはないとか。
 今回デジカメの動画機能を使って、へたっぴながら動画も撮りましたので、よければご覧ください。

 あこがれだった尾小屋鉄道をさらに堪能するために、粟津をあとにした次は小松でレンタカーを借りて、一路、尾小屋へ。尾小屋というのは銅を多く採掘していた鉱山でして、そこから出てくる鉱石や鉱夫を輸送するための輸送機関として作られたのが尾小屋鉄道です。
 したがって、終点の尾小屋は山の中腹にあり、そこまでのバスは一日に3往復という秘境ですが、せっかくここまで来たのだからと、レンタカーを借りて山に行ってみることにしました。

 ちなみにレンタカーはスズキのアルト。一番安いやつですw 普段オンボロ型落ちの軽に乗っているのが悪いのですが、今の軽は冷房効かせてもちゃんと走るから偉いですね。

 まずは尾小屋の鉱山資料館に。ここには尾小屋鉱山全般の資料が収蔵されています。いろいろ見て回った中で、個人的には↓の黄鉄鉱が一番感動したりw

 黄鉄鉱、「愚者の黄金」なんて呼ばれたりしますが、ほんと綺麗な鉱物ですよね。綺麗なだけでわりと取れ、エネルギー的な価値もないので割合安価で手に入れることができるので、欲しいなあとか思ってたりします。

 大正時代の温泉番付ならぬ鉱山番付もありました。横綱大関クラスには、鉄オタには見知った名前がズラズラと。やはり夕張はすごかったんだなというのがわかります。

 独特の書体で有名だった尾小屋駅の駅名標をはじめ、尾小屋鉄道関連の資料も充実していますが、なかでも最近寄贈された↓の二台のジオラマ、どこかで見たことありますねw 私も二度ほど見たことがありますw いずれにせよ、ゆかりの地で展示されるのはすばらしいことです。


 次に向かうは、尾小屋鉄道関連の保存車です。

 No.5、戦時中に作られた実用本位な機関車ですが、軽便蒸気でなかなか残っているものは少なく、また実用本位なデザインがかえって武骨でかっこよく、私の中では好きな機関車の一両です。

 こんなオープンデッキの車両も、さすがに予備車だったようですが、最晩年まで残っていました。ハフ1、二軸車です。小さくてかわいい客車です。模型でほしいなあ。

 その次は尾小屋駅の跡地へ。今は往時を忍ばせるものは少ないものの、広大な広場があり、それとすぐにわかります。ここには以前、東大OBを中心にした保存会があり、そのための線路もわずかながら残っていました。そして、奥にぽつんと見えている倉庫、その中の「秘仏」がまだ存在しているのかどうかを確かめることも、わざわざ尾小屋の山の中までやってきた理由の一つです。
 二つの倉庫に近づき、隙間からコンデジを忍ばせてフラッシュをたいて一発勝負。どうでしょうか。


 いましたいました。そこにまだ存在してくれていました。上はキハ2。粟津で出会った2両のキハともう1両、尾小屋鉄道で活躍したディーゼルカーです。バケット付きの厳めしい姿がなんとも魅力的な1両です。
 下はホハフ7。現在は近鉄を経て三岐鉄道の一員となった、北勢鉄道をルーツに持つ古典車両です。粟津の客車2両は車体更新を受けているため原形の面影はありませんが、このホハフ7は木製だった当時の面影を残している車両として、一度じっくり眺めてみたい車両です。

 長々と書いてきましたが、今回はここまで。次回は尾小屋の山を下りてレンタカーを返したところからスタートです。それでは。

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2019'05.06.Mon
もう書くことも辛いのですが、言及しておこうと思います。こんなつまらないことを文章にしたくもないのですが。
ここのところ、地方私鉄の保存車が解体、もしくは解体が決定するということが相次いでいます。
近江鉄道の電気機関車「無償譲渡」も検討…解体予定の10両(近江鉄道)
『鉄道車両公園』のリニューアルについて(秩父鉄道)
旧信濃川田駅の車両撤去へ 計画見直しで4両解体(長野電鉄)
151・701・1051号引退のお知らせ(長崎電気軌道)
https://twitter.com/irucakoto/status/1124943031235334144(ことでん)

自分に何かできれば、あるいはどこかに怒りをぶつけられればいいのですが、すべては経済の停滞、地方の衰退、人口の減衰が招いたことで、どこにどう気持ちをぶつけていいのかわかりません。ましてや、鉄道会社に怒りをぶつけてどうにかなるとか、そういう問題でも勿論ありません。時代の流れとともに古い車両が代替わりしていくことは自然なことなので諦めもつきますが、これらはそういうことではありませんよね。日々辛いことが多い中、楽しい趣味の世界でまで、現実を見せつけられたくはなかった。文章にして吐き出すくらいしか、私にはできそうもありません。
そろそろこの趣味も仕舞いどきかもしれません。模型に関しては当分続けるでしょうが、少なくとも実物方面に関しては、まだ訪れていない地方私鉄をまわったら、数年のうちに店じまいをするつもりです。





レイアウトのほうは着々と進んでいます。記事はしばしお待ちを。

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茨城県古河市在住。「いばらぎ」ではなく「いばらき」です。
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