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豚汁模型!

ブログタイトルは滅茶苦茶ですが、とりあえずゆるゆる細々とテツドウモケイをいじりたいなあ、というのが信条の脱力系ブログ(?)です。

2016'02.21.Sun
買ったもののうち、紹介しきれていない車両を数度に分けて紹介するシリーズ、前回投稿が去年の11月ということで、時の流れの早さを感じながら書いております。
 タイトルに「?」が付いているのは、大昔に東急の車両のGMキットを組んだ経験があり、そのつたない出来の車両をブログに載せるのはあまりにも恥ずかしいので、これが「初」の東急の電車ということに今なりました。って、言っちゃったらダメじゃん(^^;


 再生産された9000系を購入し、8連として組み立てました。どうでもいいことですが、年々キットを組むスピードが衰えてきている気がします。集中力の問題でしょうか(^^;
 実車はすでに東横線での活躍を終え、5両編成を組んで大井町線に働き場を移していますが、模型の世界では長編成が楽しい8連で、しかも「桜木町行き」として組みました。
 幼少期から103系などの古い電車が好きという変わった子供だった私ですが、ちょうど生まれた時期がこの電車が最新鋭の電車として登場した時期と重なっており、当時から古い電車好きの私には珍しく、この電車は大好きな電車でした。幼いながらに平妻で通勤型4扉という103系の最終発展形のようなこの電車にシンパシーを感じていたのかもしれません。変な子供ですね(^^;
 そのため、この電車も末期のスカート付ではなく、スカートなしで行先も「急行 桜木町」であります。

 顔のアップで。何度見てもカッコいい電車です。
 GMから初めて製品化されたときは「ライトもつかない電車に4両¥13000なんてとても出せない・・・」と諦めた製品でしたが、ようやっと手元に置けるようになりました。実車の無味無臭の様相ながらも、随所に洗練性を見せるデザインをよく表現できており、お値段は多少張りますが、素直に買ってよかったと思える製品です。
 
 最後に、写真の中でチラチラ見えているお隣の東武20000系を紹介しておきます。こちらもブログでは取り上げていないので、後程紹介します。
 現実の世界では、東武20000系は中目黒から先の東急線内には乗り入れてこなかったので、このようにすれ違う光景は存在しませんでしたが、高架橋の上をすれ違う姿はなかなかいいものです。機会があれば、高架橋のあるレイアウトで走らせてみたいですね。

 それでは今回はこの辺で。次回は東武まみれになることでしょう(^^;



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2016'01.11.Mon
真岡というと自宅から1時間半ほどということもあり、我が家では「冬にいちごを食べに行くところ」という印象が強いのですが、ここ最近で蒸気機関車の数がずいぶんと増え、北関東では随一の鉄道ミュージアムになってきた感があります。
 今回はその真岡駅に隣接する「SLキューロク館」にD51が新たに加わり、整備が完了したということでお披露目イベントがあり、参加してまいりました。あれこれやっているうちにずいぶん経ってしまいました(^^;
 まずは新加入組以外の紹介を。


 貨車が多いところなので、少し省きながらご紹介。貨車は来歴がはっきりしない車も多く、不明な点が多々ありますがご容赦ください。
 写真中央は蒲原鉄道のワ12で、1930年に新潟鉄工で作られた車です。この当時にあらゆる地方私鉄に納入されていた標準車ですね。
 その左は1940年に日本車両で作られた一畑電鉄ト60です。1940年製造というには少し古風な外観なのですが、本当に1940年製造というのかすらもはっきりしないのが、貨車の面白いところであり、難しいところでもあります。
 さらに左は国鉄のヨ8016です。真岡に来てずいぶん経っていた車両で、整備がなされず荒れ放題だったのですが、かなり綺麗になっていました。

 この編成のしんがりを務めるのがワフ16です。この車も複雑な経歴を持っています。
 元国鉄の木造ワフを水島臨海鉄道で鋼体化したもので、案内板には製造は国鉄鷹取工場で1910年製と書かれていますが、上回りは1958年に新しく作られたものです。
 以上、ヨ8000を除いた3形式はいずれも地方鉄道で過ごしてきたということもあって、ここではなくてもっとふさわしい場所で保存してほしいという気もしますが、適切な管理のもとで保存されるというのは大変に喜ばしいことで、歓迎です。


 貨車はキューロク館の対岸にも留置されていますので簡単にご紹介します。戦後の標準型ヨ3500を二段リンク化して制限速度を引き上げたヨ5000です。真岡には2両いますが、表記類は読めなくなっています。ごらんのとおり、状態は悪いです。


 こちらも車掌車の一種ですが、荷物室も備えた緩急車です。全国に広汎に使われたワフ29500ですが、こちらは前掲のヨよりは状態はいいです。以前はもう1両いたのですが、こちらは行方不明。解体されたんでしょうかね。
 そのほかトラ70000が数両いますが、番号がはっきりしないため割愛します。


 キハ20は2両存在します。上が247番、下が213番です。この2両が実際に国鉄真岡線で走っていたかどうかは定かではありませんが、3セク転換前の真岡線の主力車両はまぎれもなくキハ20でした。個人的には蒸気機関車よりもこちらを動態保存していただきたいところですが、いすみ鉄道などの話を聞くに、現実は簡単ではないようですね。


 同様にDE10も2両存在します。上は1014号機、下は95号機です。どちらもDE10ですが、来歴はずいぶんと異なります。
 1014号機は客車の回送用に導入したDE10の部品取りとして大阪からやってきた車両でしたが、元をたどるとJR四国のアイランドエクスプレス牽引機という華々しい経歴の持ち主です。近年まで大阪貨物ターミナルでスイッチャーとして働いていました。
 95号機は国鉄時代に廃車になった機関車で、ずいぶん長いこと真岡に放置されたままになっています。DE10の0番台は早期に廃車されたものが多く貴重な生き残りなのですが、真岡での扱いは粗雑の一言に尽きます(^^;

 さて、施設の名称が「SLキューロク館」というくらいですから、9600型ももちろんいます。
 この49671も一癖ある機関車でして、通常運転席は左側にあるのが常識ですが、なんとこの車は右側に運転席がついているのです。これは、所属していた五稜郭機関区時代、働き場であった青函連絡船の航送貨物の積み込みを行う際に、構内が右カーブの連続であったために運転士の視界を確保する必要性から改造されたものです。
 面白いのが、この機関車は1976年に廃車となるのですが、末期に右側運転台のまま他区へと移っており、68年には北見、廃車寸前の75年には滝川(廃車前提の移動?)に転属しており、他車が左側に運転台があるにもかかわらず、この機関車だけは右側運転台のまま仕業に就いていたのです。おそらくは入れ替え専用機であったからであると思われますが、現場ではたいそう扱いづらい機関車であったことは想像に難くありません。
 そんな特殊な機関車が、実は「生きている」というのは、存外にすごいことなのかもしれません。

 この黒光りした動輪からもわかるように、この機関車は「生きて」います。石炭ではなく圧縮空気を利用してのもののため、牽引力は往時には到底及びませんが、それでも動いている蒸気機関車というのは迫力のあるものです。

 そんな9600の後ろには青い客車が。サボには「日本海」の表示がありましたが、これはスハフ44のためフェイクです。
 スハフ44という車両は、80年代の終わりまで長らく活躍したスハ43やスハフ42の北海道版で、道内では急行ニセコを中心に幅広く活躍していました。このスハフ44 25も北海道内で長く活躍した車両でしたが、青函連絡船が退役する際に羊蹄丸の中に取り込まれ、長らく船の科学館の収蔵品として保存されていた車両です。私も船の科学館で見た覚えがあります。
 その後、羊蹄丸が解体されることになり、中に保存されていたこの車は真岡鉄道に引き取られることになりました。
 現在では保存車兼休憩室となっているのですが、その内部がまた素晴らしい。


 羊蹄丸に取り込まれた際に何も改装をしなかったため、本当に国鉄そのままの状態で保存されています。あまりにそのままなので、普通に乗ってしまって大丈夫なのかといぶかしんだくらいです。
 どれだけの人がこの車内のコンディションに気づけるのかはわかりませんが、大切に引き継いでいってもらいたいものです。


 さて、いよいよ本命のD51です。といっても、この日は公開初日だったこともあり満足な写真は撮れず。申し訳程度に写真を載せて、プロフィールの紹介と行きます。
 真岡に来る以前は静岡県で保存されていたD51 146ですが、生涯を北海道で暮らした根っからの道産子です。1938年に追分に配置されてから、1976年に岩見沢で廃車になるまで、一貫して道内で活躍してきました。長万部に長く配置されていた機関車で、長万部は函館本線を中心に運用していましたから、49671とももしかしたら函館で顔を合わせていたかもしれません。
 状態はいたって良好で、今にも走り出しそうなほどによく整備されていました。ここの蒸気機関車はどれもペンキを塗りたくった無粋なやりかたはしておらず、さすがは実際に機関車を動かしている会社だな、と感じました。
    
 9600は圧縮空気での動態保存でしたが、いよいよこちらは本当に蒸気で動いている機関車です。
 真岡鉄道が蒸気機関車を多数持つきっかけとなったC12 66です。こちらはもうお馴染みですね。現役時代は中央本線の上諏訪機関区に長く在籍した機関車で、入れ替え用としての在籍だったようです。
 最近の検査で異常が見つかったようで、早く復帰してほしいですね。

 そして蒸気で動くもう1両は、こちらもお馴染みC11 325です。この日の主役でした。
 新製配置は茅ケ崎で、茅ケ崎区にSLの配置がなくなるまで相模線で活躍しました。その後米沢に移って入替と左沢線用に使われ廃車となります。左沢線のSLサヨナラ列車を牽引したのもこの機関車です。
 真岡鉄道の所属ではありますが、使い勝手がいいこともあって他所へ貸し出されることの多い機関車で、真岡鉄道を走っている姿というのは少し撮りづらいという変わった機関車です。

 最後は、4機の機関車すべての汽笛吹聴を行ってイベントは終了となりました。いやあ、うるさかったのなんの(笑) しかし蒸気機関車の迫力ある姿は、普段電車を追っかけている私からすれば非日常であり、楽しいイベントでありました。

 それでは今回はこの辺で。次回は模型になると思います。

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2016'01.05.Tue
あけましておめでとうございます、というには少し遅い気がしますが、新年のご挨拶ということで。
 正月もなんだかんだ言って寝正月というわけにもいかず、趣味の方面でも今まで買ってそのままだった何十両もの模型のステッカー貼りなどをちまちまとやっております。
 そんな中でこのお正月にそれと並行して行っていたことがありまして、まだHDDが普及していないころに撮った写真をCDに焼いて保存していたのですが、そのCDが粗悪品で撮った写真が取り出せなくなっていたのです。それから10年が経って、技術の進歩もあったことだし、何とかできないものかと試行錯誤してみた結果、全てとは言えないものの、かなりの数の写真を発掘することができました。その中には、

 わざわざこのために始発で家を出た、当時は撮影可能な時間帯に走るのはすでに朝の1本のみになっていた京急1000形の12連快特や、

 この時点ですでに廃車が決まっていた新京成の800系など、サルベージできた写真の中には既に消えてしまった電車が多数含まれていまして、お正月から幸先のいいスタートとなりました。
 本年も牛歩の歩みではありますが、多方面で活動していきたいとこの時点では思っております。よろしくお願いいたします。

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2015'12.25.Fri
以前に「大学時代小説を書くサークルにいた」という話をなんだったかの記事でしたような気がしますが、大学時代に書いた小説の中の1本に鉄道を題材にしたものを書いたことがあったを思い出したので、ブログの保守がてら投稿します。
 題材は「草軽電鉄」です。自分でも何でそんなマイナーかつ、とうの昔に消えた鉄道をネタにしたのかは忘れましたが、当時の自分としてはそこそこ上手に書けたような記憶があります。
 少々長めのお話(原稿用紙60枚ほど)ですので、お暇なときに読んでいただければ嬉しいです。当然ながら本作の内容はすべてフィクションです。
 読んでいただける方はこちらをクリックしてください。小説ページにジャンプします。

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2015'12.07.Mon
あれよあれよという間に12月がやってきてしまいました。早いです、本当に。1週間はあれだけ長くて週末が待ち遠しいのに、1か月となるとすぐ過ぎ去ってしまいます。年を取ったせいですかね(二十代男性の意見)

 そんなこんなで横瀬を後にし、秩父鉄道に乗り継いで三峰口まで向かいます。
 そもそも秩父鉄道に乗ったのが5年ぶり、三峰口までいったのはかれこれ15年ほど前のことでしょうか。

 当然ながらこの電車が主力のころです。真ん中の車両は非冷房で、前後の車両に乗客が集中していましたっけ。
 今では東急のステンレスカーが押し寄せ廃車となりましたが、後継の103系よりよっぽど長生きしましたので、幸せな車両だったのではないでしょうか。
 そんな101系も1両も保存されることはなく、しかもこれからご紹介する保存車たちは、みな朽ち果てようとしているものばかり。C58の運転で一般には車両保存には積極的に見える秩父鉄道も、現実には厳しいようです。


 そのC58もスタンバイしておりましたが、私の目的はこっちです、


 今回秩父鉄道を訪れる最大の目的はこの車の状態を確かめることでしたが、想像以上に悪かったです。床下にもぐってみましたが、鋼体はそろそろ限界にきているような気がします。
 この車はデハ101形といって、高度経済成長期から昭和の秩父鉄道を支えていた車両です。秩父鉄道のオリジナル車であり、当時の地方私鉄では車体を別の私鉄どうしであっても共通化して
、コストを抑えようという取り組みが積極的にされていた時期であり、そういった状況での自社発注車というのは白眉の存在です。分類でいうと、製造年代と日本車両製であること、それに旧型車の機器流用車であることから、新潟交通や松本電鉄、岳南鉄道などに多数いた日車標準車体の車と近縁といえるでしょう。
 以前(といっても15年も前ですが)来たときは手前の階段から中に入ることもできたのですが、ちらとのぞいてみると、やはり木製の床板が抜け落ちています。朽ち果ててしまうのもそう遠い未来ではないのかな、と思ってしまいました。


 続いてはデキ1です。依然として盛業中の貨物列車ですが、その始祖がこの機関車です。ほかにも何台が保存されたはずですが、まだあるのでしょうか。
 ウエスチングハウス製のこの機関車、名鉄などにも同型車がいたことでも有名ですが、よほど優秀だったらしく、日本車両などでそのまんまのコピー品が作られていたことは面白い歴史です。ウエスチングハウス謹製の車とともに名鉄で近年まで仲良く働いていましたね。


 ED38という車番、上のデキ1と同時期に活躍した機関車ですが、その構造とともに一風変わった機関車です。
 この機関車、もともとは現在の阪和線を作った阪和鉄道という私鉄が製造した車両です。関西のファンにとってはお馴染みと思いますが、当時の阪和鉄道は並行する南海に対抗するため、日本の電車史上のエポックメイキングとなる高性能かつデラックスな車両を多数製造して投入しており、それら俊足の電車から逃げながら貨物輸送を行うために作られたのがこのED38という機関車です。
 自慢の健脚で高速性能は素晴らしいものがありましたが、牽引力はどうやらイマイチだったらしく、高速運転などという言葉からはかけ離れた秩父鉄道では二線級の扱いだったようです。
 元阪和鉄道の車としては貴重な生き残りだけに、関西方面の博物館で整備してあげてほしいものですが、どうなのでしょうか。

 ここからは保存されている貨車をアラカルト的にご紹介。

 スム4000。15t積の鉄製有蓋車です。セメントにとって天敵の水分を普通の有蓋車よりも防ぐために自社で発注され、袋詰めのセメントなどを運んで活躍していました。袋詰めセメント輸送の廃止などによって次第に消えましたが、今も救援車として数両が残っているようです。

 
 テキ100。30t積の鉄製有蓋車で、上のスム4000の大型化版といったところでしょうか。運用方法も目的も同じで、消滅した理由も同様でした。


 ワキ800。30t積の有蓋車で、国鉄のワキ5000とは同型です。運用のされ方は上で紹介した鉄製有蓋車と全く同じようですが、鉄製有蓋車を作り続けなかったのは何故なんでしょうかね。国鉄車と同型ですから、コストの問題でしょうか


 トキ500。36t積の無蓋車で、国鉄のトキ25000とは同型です。今でいうところのホキ10000のような、石灰石をそのまま積んで輸送するような車両でしたが、国鉄の貨物取扱縮小にともなって運用停止となっています。その後は、救援用として数両の車籍が残っているようです。


 ワフ50。10t積緩急車です。少し注意深く見ればわかりますが、旧型のスムを改造して車掌室を取り付けた緩急車です。いうなれば鉄製緩急車でしょうか。通常の車掌者に比べて居住性はどうだったんでしょうかね。貨物列車に車掌を乗せなくなったため廃車になりました。


 さて極めつけはこちら。全国探してもなかなかいない形態の車両です。ボギー車の車掌者は全国探してもこれだけだとか。
 ヨ10。旧型のヲキ(石灰石用ホッパ車)を改造した車両ですが、きわめて簡易的な構造をしており、取ってつけたような車掌室と、むき出しになった基礎がなんともユーモラスな車両です。この車も、貨物列車に車掌を乗せなくなったため廃車になりました。

 三峰口をあとにし、西武池袋線経由で岐路につきましたが、西武秩父でやってきた電車に思わず驚いてしまいました。

 何ら特別なところはない4000系ですが、西武秩父駅に滑り込んできたのは急行の池袋行きです。西武に関しては全くの素人なのでダイヤを調べてみると、この列車はどうやら三峰口発で、しかも次の横瀬で長瀞発の列車と併結して池袋まで8連で行く列車のようです。分割併合を行い、都心のど真ん中しかもラッシュ時にも関わらず、2扉の車が堂々と行くなどという時代錯誤なことをやっているのは東武だけかと思っていましたが、西武鉄道もなかなか面白いことをやりますね。4000系の模型が欲しくなります。

 それでは、シリーズでお届けした小旅行もこの辺で。またお会いしましょう(^^)ノ

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