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豚汁模型!

ブログタイトルは滅茶苦茶ですが、とりあえずゆるゆる細々とテツドウモケイをいじりたいなあ、というのが信条の脱力系ブログ(?)です。

2015'12.25.Fri
以前に「大学時代小説を書くサークルにいた」という話をなんだったかの記事でしたような気がしますが、大学時代に書いた小説の中の1本に鉄道を題材にしたものを書いたことがあったを思い出したので、ブログの保守がてら投稿します。
 題材は「草軽電鉄」です。自分でも何でそんなマイナーかつ、とうの昔に消えた鉄道をネタにしたのかは忘れましたが、当時の自分としてはそこそこ上手に書けたような記憶があります。
 少々長めのお話(原稿用紙60枚ほど)ですので、お暇なときに読んでいただければ嬉しいです。当然ながら本作の内容はすべてフィクションです。
 読んでいただける方はこちらをクリックしてください。小説ページにジャンプします。

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2015'12.07.Mon
あれよあれよという間に12月がやってきてしまいました。早いです、本当に。1週間はあれだけ長くて週末が待ち遠しいのに、1か月となるとすぐ過ぎ去ってしまいます。年を取ったせいですかね(二十代男性の意見)

 そんなこんなで横瀬を後にし、秩父鉄道に乗り継いで三峰口まで向かいます。
 そもそも秩父鉄道に乗ったのが5年ぶり、三峰口までいったのはかれこれ15年ほど前のことでしょうか。

 当然ながらこの電車が主力のころです。真ん中の車両は非冷房で、前後の車両に乗客が集中していましたっけ。
 今では東急のステンレスカーが押し寄せ廃車となりましたが、後継の103系よりよっぽど長生きしましたので、幸せな車両だったのではないでしょうか。
 そんな101系も1両も保存されることはなく、しかもこれからご紹介する保存車たちは、みな朽ち果てようとしているものばかり。C58の運転で一般には車両保存には積極的に見える秩父鉄道も、現実には厳しいようです。


 そのC58もスタンバイしておりましたが、私の目的はこっちです、


 今回秩父鉄道を訪れる最大の目的はこの車の状態を確かめることでしたが、想像以上に悪かったです。床下にもぐってみましたが、鋼体はそろそろ限界にきているような気がします。
 この車はデハ101形といって、高度経済成長期から昭和の秩父鉄道を支えていた車両です。秩父鉄道のオリジナル車であり、当時の地方私鉄では車体を別の私鉄どうしであっても共通化して
、コストを抑えようという取り組みが積極的にされていた時期であり、そういった状況での自社発注車というのは白眉の存在です。分類でいうと、製造年代と日本車両製であること、それに旧型車の機器流用車であることから、新潟交通や松本電鉄、岳南鉄道などに多数いた日車標準車体の車と近縁といえるでしょう。
 以前(といっても15年も前ですが)来たときは手前の階段から中に入ることもできたのですが、ちらとのぞいてみると、やはり木製の床板が抜け落ちています。朽ち果ててしまうのもそう遠い未来ではないのかな、と思ってしまいました。


 続いてはデキ1です。依然として盛業中の貨物列車ですが、その始祖がこの機関車です。ほかにも何台が保存されたはずですが、まだあるのでしょうか。
 ウエスチングハウス製のこの機関車、名鉄などにも同型車がいたことでも有名ですが、よほど優秀だったらしく、日本車両などでそのまんまのコピー品が作られていたことは面白い歴史です。ウエスチングハウス謹製の車とともに名鉄で近年まで仲良く働いていましたね。


 ED38という車番、上のデキ1と同時期に活躍した機関車ですが、その構造とともに一風変わった機関車です。
 この機関車、もともとは現在の阪和線を作った阪和鉄道という私鉄が製造した車両です。関西のファンにとってはお馴染みと思いますが、当時の阪和鉄道は並行する南海に対抗するため、日本の電車史上のエポックメイキングとなる高性能かつデラックスな車両を多数製造して投入しており、それら俊足の電車から逃げながら貨物輸送を行うために作られたのがこのED38という機関車です。
 自慢の健脚で高速性能は素晴らしいものがありましたが、牽引力はどうやらイマイチだったらしく、高速運転などという言葉からはかけ離れた秩父鉄道では二線級の扱いだったようです。
 元阪和鉄道の車としては貴重な生き残りだけに、関西方面の博物館で整備してあげてほしいものですが、どうなのでしょうか。

 ここからは保存されている貨車をアラカルト的にご紹介。

 スム4000。15t積の鉄製有蓋車です。セメントにとって天敵の水分を普通の有蓋車よりも防ぐために自社で発注され、袋詰めのセメントなどを運んで活躍していました。袋詰めセメント輸送の廃止などによって次第に消えましたが、今も救援車として数両が残っているようです。

 
 テキ100。30t積の鉄製有蓋車で、上のスム4000の大型化版といったところでしょうか。運用方法も目的も同じで、消滅した理由も同様でした。


 ワキ800。30t積の有蓋車で、国鉄のワキ5000とは同型です。運用のされ方は上で紹介した鉄製有蓋車と全く同じようですが、鉄製有蓋車を作り続けなかったのは何故なんでしょうかね。国鉄車と同型ですから、コストの問題でしょうか


 トキ500。36t積の無蓋車で、国鉄のトキ25000とは同型です。今でいうところのホキ10000のような、石灰石をそのまま積んで輸送するような車両でしたが、国鉄の貨物取扱縮小にともなって運用停止となっています。その後は、救援用として数両の車籍が残っているようです。


 ワフ50。10t積緩急車です。少し注意深く見ればわかりますが、旧型のスムを改造して車掌室を取り付けた緩急車です。いうなれば鉄製緩急車でしょうか。通常の車掌者に比べて居住性はどうだったんでしょうかね。貨物列車に車掌を乗せなくなったため廃車になりました。


 さて極めつけはこちら。全国探してもなかなかいない形態の車両です。ボギー車の車掌者は全国探してもこれだけだとか。
 ヨ10。旧型のヲキ(石灰石用ホッパ車)を改造した車両ですが、きわめて簡易的な構造をしており、取ってつけたような車掌室と、むき出しになった基礎がなんともユーモラスな車両です。この車も、貨物列車に車掌を乗せなくなったため廃車になりました。

 三峰口をあとにし、西武池袋線経由で岐路につきましたが、西武秩父でやってきた電車に思わず驚いてしまいました。

 何ら特別なところはない4000系ですが、西武秩父駅に滑り込んできたのは急行の池袋行きです。西武に関しては全くの素人なのでダイヤを調べてみると、この列車はどうやら三峰口発で、しかも次の横瀬で長瀞発の列車と併結して池袋まで8連で行く列車のようです。分割併合を行い、都心のど真ん中しかもラッシュ時にも関わらず、2扉の車が堂々と行くなどという時代錯誤なことをやっているのは東武だけかと思っていましたが、西武鉄道もなかなか面白いことをやりますね。4000系の模型が欲しくなります。

 それでは、シリーズでお届けした小旅行もこの辺で。またお会いしましょう(^^)ノ

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2015'11.21.Sat
前回の続きからはじめます。
 横瀬には電機機関車以外にも保存されている車両があるので、そちらの紹介から。

 製造時期を物語る湘南マスクの351系です。現在は旧番号のレタリングを入れて保存されていますが、こちらのほうが馴染みがありますので、今回の記事ではこの名前を使います。
 戦時中に大量に焼け出された木造国電を買いあさった西武は、その国電のパーツを使って独自の通勤電車を次々と生み出します。当時の西武は増え続ける沿線人口に対応するため異常な勢いで電車を作り続けており、この351系もその流れの中で生まれた車両です。
 前面こそ最新鋭のデザインである湘南マスクを採用していますが、焼け落ちた国電骨組みを再利用した17m3扉の車体であることや、機器類は全く国鉄時代のままである点など、随所に国鉄の趣を残しています。
  1954年製のこの電車、廃車は1990年です。当時、多摩湖線の国分寺駅が20m車の入線ができなかったために遅くまで残っていたものですが、3連の中間につないでいたサハは何と国鉄から譲り受けた戦前製のものをほぼそのまま使っていたというのだから驚きです。


 お馴染み、レッドアローですね。あまり関係ないですが、KATOのレッドアロー、悩みました(^^;
 ヘッドマークの付かないオリジナルの姿で保存されています。富山地鉄に行った仲間は、ヘッドマークを付けた状態のまま活躍していますね。


 いつの間にやってきたのか、101系もいます。西武というと、私はやはりこの顔ですね。
 101系自体は支線でまだ活躍していますが、そちらはN101系と呼ばれる後期型で、701系などと同じ顔のこちらの前期型は全て廃車されてしまいました。


 西武の3000系というと、西武ファン以外にはあまり馴染みのない形式と思いますが、それもそのはず、400両以上が製造された2000系に比べると、2000系の製造数は90両弱であり、マイナーな形式でした。
 ここに何故保存されているのかといえば、松本零士氏の描いた銀河鉄道999のラッピングが施されているからでしょう。ですが、著作権には使用期限があり、それを過ぎると企業は著作を使用できないことになっています。ということは、3000系がここに居られるのもあとわずかしかないのでは? とも思います。


 日本の大手私鉄でディーゼル機を保有していた例はあまりないと思います。その中で西武は多くの専用線を抱えていたこともあって、多数のディーゼル機関車を保有していたのですが、このD16はブリジストンの工場で働いていた車両で、工場閉鎖後はこの横瀬で入替用として働いていました。
 現在も動くことができるようで、イベント時の入替にはこの車が使われているようです。スイッチャーの世界はあまり詳しくないのですが、日本車両で作られたこのタイプの車両は日本全国
いたるところで見ることができました。しかし近年急速に数を減らしており、貴重なものとなってくるやもしれません。


 西武は貨物輸送も手広くやっていたことは何度もお話していますが、その名残である貨車も保存してあります。手前が緩急車のワフ105、奥が鉄製有蓋車のスム201です。ワフはKATOから最近発売されましたね。
 にしても保存車に乗っちゃって大丈夫なんですかね。いや、立ち入り禁止のロープやテープは巻かれていないのでいいんでしょうが、来場者のモラルとかそういう話以前の問題として、研修庫が雪で崩れた今、西武鉄道は保存車をこのままにしておいていいんでしょうか。考えさせられます。


 最後に、シートにかけられたこの車を紹介します。動輪の形からして蒸気機関車であることはわかりますが、このようなイベントにも関わらず公開されないというのもおかしな話です。
 この機関車、作られたのは何と1887(明治20)年というから驚きです。当時の日本では蒸気機関車の製造技術はありませんでしたから、製造はイギリスのナスミスウィルソンです。元は日本鉄道で働いており、作業局A8という形式でした。そこから西武に払い下げられて4号機関車となったものです。
 これだけ古いものですから、この時代の機関車で現存機というとほぼ皆無で、博物館等であるなら目玉として展示されてもよいくらいの貴重な機関車なのですが、西武は電気機関車にしか興味がないらしく、10年以上前から放置されたままになっています。
 若葉台の車庫に保存車を保管してあった京王は、少し前に展示施設を作って一般公開を始めました。横瀬にある保存車も、舶来の電気機関車が完璧な状態で多数保管してあるという点でかなり貴重ですし、保谷にある2両の保存車も含めて、常設展示できる施設を西武所沢工場の跡地(2000年に閉鎖されましたが未だに手つかずで残っています)あたりに作ってほしいですね。その折には、この機関車も整備してくれるのではないか、と思ってもいます。

 というわけで横瀬のイベントでの保存車はすべて紹介いたしました。
 この後時間があったので、秩父鉄道の三峰口まで行ってきましたが、その詳細はまた後日ということで。
 それではまた(^^)ノ

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2015'11.10.Tue
前回に貨車をちょっくら、なんて話していましたが、鉄は熱いうちにということで秩父に行ってきた記録を忘れないうちに書いておこうと思います。西武秩父線の横瀬まで、西武鉄道の電気機関車を見に行ってまいりました。
 そもそも横瀬などという西武秩父一歩手前の大変辺鄙な場所になぜ保存するだけの施設があるといえば、貨物を取り扱っていた時代に貨車と機関車の検査場が横瀬にあった名残なんですね。

 今回、往路は池袋からレッドアローで快適な旅だったんですが、西武秩父線ってものすごい登るんですね。西武鉄道にはてんで縁がなく、初めての秩父線だったんですが、あんなところを大正生まれの古豪が登り下りしていたと思うと、いやはや凄まじいというか何というか。
 そんなこんなで前置きはこれくらいにして、以前から会いたかったその大正生まれの古豪たちを紹介したいと思います。


 E43、大正15年製、英国イングリッシュ・エレクトリック社製造のエリートです。
 元をたどると、現在の青梅線の前身にあたる青梅鉄道が発注した機関車で、その後の国鉄買収によって国鉄所属になりましたが、EF53やEF56などの重量級が多数活躍していた国鉄で使うにはどうにも小さく、戦後すぐに西武鉄道に譲渡されます。
 西武では使いやすかったのか、昭和末まで使われ、保存されたのが本機です。僚機のE44も西武廃車後に国鉄の手にわたって新鶴見で保管されたのですが、しばらく音沙汰がなく心配しておりました。幸いにして未だに車庫の奥で眠っているようで、ひとまず安心しています。
 この機関車は青梅電鉄のほかにも、近鉄や東武、秩父鉄道などにも納入されており、いずれは模型でほしい機関車です。他の機関車よりも多めに写真を撮って、今後作る際の参考にしようと思います。・・・・・・うーん、金属キットですか(^^;


 E61、大正13年、こちらも名門、米国ゼネラルエレクトリック社製です。
 私鉄が発注したE43に対して、こちらは国鉄が発注した機関車です。国鉄が国産電気機関車の開発を行っていた時期にサンプル目的で購入した車両で、E43と同じくその小ささのために早期に西武に売り払われましたが、こちらも長い間活躍しました。


 E71、大正15年、さらに米国ウエスチングハウス社製です。
 この機関車だけは茶色塗装ですが、国鉄時代のED10の仕様に復元されています。なかなかローズレッドの西武塗装も似合っていたのですが、茶色のこの塗装もなかなか似合っています。
 このあと紹介するE851が登場するとE71は予備車になり、あまり動かないまま昭和末期に廃車になるのですが、こうやってきちんと保存されていることで平成の世でも出会えるわけで、ありがたいものです。
 E61もアメリカ製ですが、E61よりもアメリカらしい武骨な機関車で、なかなか好きな機関車です。

 
 E51、大正12年、なんとスイスは名門ブラウンボベリ社製というサラブレットです。
 イングリッシュエレクトリックやウエスチングハウスは日本でも馴染みのあるメーカーですが、ブラウンボベリという名前は日本ではあまり聞かないメーカーだと思います。このブラウンボベリ、ヨーロッパではたいそう名の知れたメーカーで、1890年設立で、なおかつ現在も鉄道車両を作り続けているメーカーです。
 なぜそんな大メーカーの車両が日本で普及しなかったかというと、時計で有名なスイスらしく精巧な作りで、きちんと使えれば非常に優秀な機関車を作っていたのですが、当時の日本には精巧なスイスの機械を整備できるだけの技術がなかったのです。その結果、丈夫なアメリカやイギリスの製品ばかりが日本で広がり、精巧な技術を持つヨーロッパのメーカーは日本では普及しなかったのです。
 このE51はそんなスイスの機関車の中でも、日本で働き続けた稀有な例で、もちろん保存機としては唯一の存在です。スイス製の機器類はさすがの西武でも使いづらかったらしく、後年国産品に交換されていますが、派手な改造を行わずに活躍させ続けたのは、オリジナルへのリスペクトなのではないかと勝手に思っています。


 ヘッドマークも凛々しいE851です。12系を牽引して最後の花道を飾った際のヘッドマークですね。
 EF60と同等の性能を持ち、私鉄最強をほしいままにするこの機関車も、華々しい活躍は製造後十数年といったところでしょうか。ぜひとも定期列車で客車を牽いてほしかったです。
 NゲージではロングセラーのKATOとマイクロエースからも製品化されましたね。貨車セットは非常に魅力的で、買うかどうか最後まで迷った記憶があります。結果的にはKATOの101やマイクロの701あたりを買うきっかけにならなくてよかったというところでしょうか。


 あまり興味もないのか、子どもが写っている写真で恐縮です。E31ですね。
 この機関車、E851を短くしたような、このサイズとしてはなかなかかっこいい外見の車両ですが、面白いのはその中身です。台車は80系の廃車発生品DT20A、電動機は351系の発生品、つまりは国鉄でいうところの17メートル国電用MT4、ほかにも電車用の古い部品をたんまり積んだキメラのような車両です。その上製造は西武所沢工場ですから、寄せ集めの部品の集大成なのも頷けようというものです。
 中身はなかなか面白い車両ですが、外見はというと、E851のインパクトが強すぎていまいちパッとしないというか、何というか。

 長くなりそうなので、とりあえずこの辺りで一旦切ります。見てきた車両はまだありますので、こちらも近いうちにお目にかけようと思います。
 それではまた(^^)ノ

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2015'11.06.Fri
職場で新しい部署に配置換えになり、いろいろやっているうちに一か月が過ぎてしまいました。
 というわけで前回の続きというか、休止期間中に買ったものというか、忙しかった間のストレスのはけ口というか、そんなところです。

 さてこちらにおわすは東武ED5080です。前回のED5060は重連用の機器類は積んでいない車がプロトタイプでしたが、今回のED5080は最初から重連対応として作られたものなので、当然重連用のジャンパ栓類は完備しています。
 実車は3両のみが製造された少数派ですが、当初は成田空港建設用として、空港の建設財団所属であったために形式が分かれただけで、実質は重連仕様のED5060と何ら変わりはありません。なので、ペアーハンズの交換用ナンバーも所持していることですし、まだ市場在庫があるうちにもう1セット、なんて考えていたりします。キリがない(^^;


 さて、このED5080と同時に出たのがこのヨです。私鉄でヨというとあまり馴染みはないかもしれませんが、東武には車掌車が存在していました。
 このヨがたまらなく欲しくって、以前、鉄コレでED6060が出た際にペアーハンズのキットも購入していたほどでした。ワールド工芸からもキットが出ていますが、それこそ金属キットでしか手に入らないものとばかり思っていました。
 そこにきて鉄コレでまさかのヨのリリースで、プラ完成品で念願の形式が出て嬉しいやら、買っていた金属キットが無駄になって悲しいやら。何にしても喜ばしいことで、なんと5両も買ってしまいました(^^; 鉄コレはこの先再版される保証もないので、このヨばかりは、欲しいと思った分だけ買っています。


 現状の我が家の貨物ヤードより。さながらかつての千住といったところでしょうか。
 しかし、この機関車を買ってから貨車がどんどん増えます。そしてまだまだ増えてます。そんなところで次回は貨車でしょうか。ということでまた次回ですー(^^)ノ

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茨城県古河市在住。「いばらぎ」ではなく「いばらき」です。
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