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豚汁模型!

ブログタイトルは滅茶苦茶ですが、とりあえずゆるゆる細々とテツドウモケイをいじりたいなあ、というのが信条の脱力系ブログ(?)です。

2016'03.30.Wed
以前に西武鉄道の博物館がほしい、というような話をしましたが、京王は最近になって自前で博物館というか、車両展示スペースを作りまして、私のような古い電車が好きな変わり者には嬉しい施設となりました。
 場所は多摩動物公園で、近隣の大学関係者以外にはあまり縁のない場所ですが、随分前のことにはなりますが幸いにして近くに用事ができましたので、これ幸いと覗いてきました。撮ったときは大変に暑い日だったはずですから、なんともはや、という感じです(^^;

 車両展示スペースはこんな感じ。以前は鉄道模型の運転場があった場所なのですが、見事に車両が入っていますね。ちなみに、隣接する資料館もあるのですが、こちらは子供向けの感が強いので割愛します。HOゲージレイアウトもありますが、子どもが動かせるようになっているだけで、一斉に車両が動き出すようなイベントも行われません。この辺りは、今後充実していただきたいな、と思うところですが、多摩動物公園の隣という立地だけに難しいのかもしれません。
 それではさっそく展示車両の紹介へ。

 2400型2410号、1940年製造というには古めかしく、また14mという小さなサイズの電車ですが、当時の京王は路面電車規格で、大型車が入ってくるのは1960年ごろになります。このあたり、当時は帝都電鉄という別会社だった井の頭線では17m車が幅を利かせており、現在とは違う状況が面白いところです。
 1963年の架線電圧の昇圧によって大半の仲間が廃車になった後も、支線で使われていた同車ですが、保安装置の変更がアダとなって廃車になりました。その後は多摩動物公園駅前で保存展示されたのちに若葉台検車区に移り、また多摩動物公園へと戻ってきたわけですから、一種の里帰りですね。
 この小さなかわいい電車、個人的に好きな電車のかなり上位に来る電車で、若葉台時代から見たかったのですが、常設展示されることになり、嬉しさもひとしおです。

 こちらは2010型2015号、2410とは打って変わってカルダン駆動の高性能車です。ここに来なくとも実は銚子電鉄で乗れる(!)のですが、それはまた別の機会に。
 初期高性能車ということで、世代的には小田急2200型や東急5000型などと同時期の製造となりますが、製造両数の少なさゆえか、あまり日の当たらない形式です。先の2410号のような14m車を電装解除してトレーラーとして編成に組み込んでいたことも特筆できますね。
 末期には普通電車専用となりますが、どうやら京王沿線の大学出身の母親が乗ったことがある様子。冷房もないこの電車がホームに滑り込んでくると「ハズレ」だったそうな(笑)

 京王5000型は、もう詳細を説明するのも野暮というほどの名車ですね。
 この電車、事業用車となってから見に行こうと思えば見に行けたのですが、タイミングが合わずに実見できないままでした。幸いにして各地の私鉄で今も動いており、富士急行で実際に載ることができたのはうれしかったですね。

 富士急行ではリバイバル色として、京王電鉄時代の塗装でも活躍しています。置き換えは時間の問題でしょう。

 続いては6000型。こちらは近年まで活躍していたのでお馴染みの方も多いでしょう。私も乗ったことがあります。

 なんとか写せた優等運用の写真から。パンタが切れているというどうしようもない写真ですが、せっかくなのでご笑覧下さい。
 
 こちらは井の頭線用の3000型。こちらも知らない人はいないですよね。長い間活躍しましたが、つい近年、京王線上からは姿を消しました。今は各地の地方私鉄で第二の人生を歩んでいる車両が多くいますね。

 3000型は、待っていれば来る手軽さも相まってよく写しました。最末期にも優等運用によく入り、急行灯を点灯させて最後の頑張りを見せている姿を何度となくカメラに収めましたっけ。今では1000型の天下で、足が向かなくなりましたね。

 京王の博物館、走っている姿を拝めなかった車両たちが多数おり、ありがたい場所です。ほかの電鉄会社もこのような施設を作っていただきたいですね。特に西武、京成、小田急あたりは、見たい電車を車庫に保管していますから、ぜひともお願いしたいところです。
 それではまた(^^)ノ

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2016'03.13.Sun
あの日から5年が経ちました。
 世の中もそうですが、個人的には激動の5年間となりました。まあ原発やら復興やら、色々と書けることはあるのですが、このブログはそういうブログではありませんから、今回は単純に5年前のあの日の私について。

 2011年初頭の私は、一浪して挑んだ受験で思うような結果にならず、たいそう落ち込んでおりました。食べることが何よりの楽しみな私が、1週間何も食べる気が起きないほどの喪失感に苛まれていました。
 そんな折、何とかもぐりこんだ大学への進学を控え、3月11日は祖母とともに家で過ごしていました。当時は受験失敗のショックで何もやる気が起きず、ただだらだらと惰眠をむさぼる毎日。当日起きだしたのが12時という体たらくで、完全に昼夜逆転の生活を送っておりました。
 地震が起きた時間は部屋のパソコンでWikipediaか何かを見ていたのだと思います。揺れた当初はそこまで大きくないと思っていたのが、どんどんと大きくなり、しまいには立っているのもやっとという状態になりました。当時住んでいた、というか今も住んでいるのですが、茨城県の古河市は震度6強という強い揺れだったそうです。しかし揺れが強くなると同時に停電してしまったので、その規模を知るのは少し後の話になります。
 当時の私の部屋(今も同じ部屋です。二階にあります)には、パソコンが置いてある机の上には棚があって、そこにはずらりと小説が並んでいました。本棚ではなかったので、強い横揺れによって頭上から本が降り注いできます。これは危ないと思った私はすぐに部屋を出ました。部屋を出ると同時に、二つ隣の自室でテレビを見ているであろう祖母はどうしているか気になり、強い揺れに耐えながら祖母の部屋へと向かいます。
 祖母はその時、ベランダに腰かけてタバコを吸っていました。火は危ないと思ったのか、すでにタバコは灰皿の中で、祖母は柱につかまって動けなくなっていました。私は祖母に「大丈夫だ」と声をかけると、部屋の中でもっとも不安定だったテレビを支え、そのまま揺れが収まるのを待ちました。
 揺れが収まると祖母とともに外に出て状況を確認します。幸いにして外の様子はいつもと変わらず、いっせいに外に出てきた近所の人と、停電によってマヒした幹線道路の動きだけがいつもと違うところでした。
 その後は停電で何もすることがなく、余震におびえながら数日間過ごしました。幸いにして断水はしなかったので助かりましたが、午後7時には部屋も真っ暗で何もすることがないうえ、昼まで寝てしまったので寝るに寝れず、苦しい夜だったのを覚えています。

 そんな折に撮ったのがこの写真。撮影時間を見ると7時半すぎですが、家の明かりはおろか街頭でさえ落ちているのが印象的で撮った写真です。
 停電が復旧したのは翌々日くらいでしたでしょうか。自分たちのことで精いっぱいでほかのところにまで気が回っていませんでしたが(ラジオから情報を得てはいました)、テレビからの映像によって被害の深刻さと、徐々に上方修正されていく死者数に震え上がったのをよく覚えています。

 それから5年、その「何とかもぐりこんだ大学」も「何とか」卒業し、社会人一年目が終わろうとしています。住んでいる地域は内陸部ですから、さすがにこの地で地震の爪痕を感じることはないものの、未だに戻らぬ人を想う人々がいることに、まだまだ傷痕の大きさについて考えます。
 高校・大学時代の仲間も各地に散り、今では会うことも少なく、5年の間に自ら人生を終わらせてしまった人もいます。5年という月日は、私にとっては刹那に過ぎ去り置き去りにした日々です。それは変わらぬ日常をおくれているということであり、何よりの幸福なのかもしれません。

 ここに仙台駅で2005年に撮った写真があります。家族旅行での一幕ですが、このあと私たち家族は気仙沼と女川でそれぞれ宿をとっています。
 どちらも活気にあふれた港町で、宿の大変美味な海鮮料理に舌鼓を打ったのを今でも覚えています。海沿いに宿はありましたから、その後は推して知るべし、でしょう。
 願わくば、またあの料理が食べられんことを。

 2016年3月13日 仲排

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2016'03.09.Wed
 前回の記事で「次回は東武まみれ」という話をしましたが、本当に休止期間中に買った東武の模型を列挙するだけなので、東武に興味のない方は何が何やらという感じだとは思います。そのあたりはご容赦くださいませ。というのも・・・
 
 画像は横浜IMONでの運転会の一幕ですが、頭の悪いことをしているという自覚は参加者全員で共有しておりましたw こんな運転会に参加するほど東武の模型を買いあさっていたということではあります。ちなみに画面手前のヤードはほかの参加者の方が持ち込まれたものですが、画面奥はすべて私が持ち込んだ車両です(^^;

 さてそれでは、前回の続きから参ります。

 前回は東急9000系が主役でしたが、今回はこちらが主役です。マイクロエースの20000系ですね。
 昨今は随分と強気な値段設定をするマイクロさんですが、これが出た当初はそこまで高い値段設定ではなく、あまり悩まずに通販サイトで購入手続きをした覚えがあります。思い返してみると、この電車を買ったことが東武ステンレス車の大量購入に拍車をかけましたね(^^;
 実車は日比谷線乗り入れ用として作られた車両で、18m3扉という私好みの電車です。モデルもそのバランスのとれた姿をよく再現しています。VVVF制御仕様車20070系も出ましたが、こちらはスルーしました。品番から言って両端の先頭車が5扉の20050型の発売も十分あり得ますが、果てさて同じ値段設定で出してくれるでしょうか・・・?

    
 さてお次は10000系。実車もなかなかダサいかっこいい電車ですが、GMはかなり忠実に再現していると思います。ライトの色味はもう少し何とかならんかとは思いますが。
 製品は塗装済みキットと完成品でのリリースで、この2本はともに塗装済みキットを組み立てたものですが、1本は自分で組み立てたのに対し、もう1本は中古ショップで組み立て済みとして安価で売られていたものを購入したものです。


 次も10000系列ですが、10030系と10000系のすれ違い、と単純に書きたいところですが、実は上でご紹介した編成とは2本とも全く別の編成です。というのも・・・

 奥の6両編成はこのように異系列で連結していたのでした。編成ごとに分解してみると


 こうなります。10000系の2連と10030系の4連を連結した6連と、10030系単独での6両編成とのすれ違いということでした。自分で書いていてもややこしい(^^;
 10000系列からのマイナーチェンジ版として製造された10030系は現在でも各線でよくみられる存在です。10030系はGMではかなりのバリエーションがラインナップされていますが、これはスカイツリーが建設される前に貼られていた古い社紋を付けたバージョンの完成品です。同じ趣の電車がすれ違っていくところを見るのは、やはりグッとくるものがありますね(^^)
  
 並んだステンレスの東武電車たち。東武20000系を購入するまでは、ステンレス車は鉄コレを除いて皆無だったのですが、短期間のうちにずいぶん増えてしまいました(^^;


 さてお次はご存じ8000系。鉄コレで製品化されたもので、長い10両編成です。10両編成というと東上線を思い浮かべる方も多いと思いますが(製品のプロトタイプも東上線仕様です)、行先を伊勢崎線用のものに交換しています。
 現在伊勢崎線系統で10両編成で運転を行うのは半蔵門線直通の列車のみになりましたが、以前は東武線内のみを走る10両編成というのも存在していました。例を挙げると、浅草にはホームの関係で6両以上の列車は入ることができないので、その直前の業平橋(現在のとうきょうスカイツリー駅)や、新栃木や太田などから下ってきて、北千住で後ろ4両を切り離して浅草行きとなる列車などが存在していました。
 今回は、またしてもいい加減ななんちゃって編成です(東上線仕様がプロトタイプなので、伊勢崎線仕様とするには諸々の改造が必要になる)が、4+4+2の10両編成とし、北千住で4両を切り離す運用を想定した整備を行っています。


 こちらはさらに解説が必要な車両ですね・・・って、見事にパンタが上がってないですね(^^;
 東武の電気機関車の後ろにつながっているのは黒いトキで、これは東武トキ1という貨車です。国鉄の貨車ではありません。
 その昔、まだ河原での砂利取りが盛んに行われていたころ(現在は景観保護や資源枯渇などの問題から規制されています)、砂利を積んで東武線全線を頻繁に行き来していたのがこのトキでした。晩年は石灰石の運搬用としても使われたようです。
 実車は、写真でも後ろにつながっている国鉄トキ25000の親戚ともいえるもので、妻板と台車形式が異なります。模型ではペアーハンズから妻板のパーツが発売されており、KATOトキ25000の妻板をはぎ取って交換するコンバージョンキットですが、妻板は連結してしまえば目立たないだろうという安易な考えのもと、2両のみ妻板を交換して、残りの車両はKATOトキ25000を塗り替えただけという体たらく。台車も全てそのままです。それでも、同じくペアハンから出ているデカールを貼ってやると、なかなかそれらしい出来でいい感じです。現在は6両のみの配置ですが、いずれは実車通りもっと長い編成にしたいと思っています。

 さて、東武に関してはこんなところでしょうか。「こんなところ」という割には買いすぎている気もしますが、気にしない気にしない(^^;
 それではまた(^^)ノ

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2016'02.21.Sun
買ったもののうち、紹介しきれていない車両を数度に分けて紹介するシリーズ、前回投稿が去年の11月ということで、時の流れの早さを感じながら書いております。
 タイトルに「?」が付いているのは、大昔に東急の車両のGMキットを組んだ経験があり、そのつたない出来の車両をブログに載せるのはあまりにも恥ずかしいので、これが「初」の東急の電車ということに今なりました。って、言っちゃったらダメじゃん(^^;


 再生産された9000系を購入し、8連として組み立てました。どうでもいいことですが、年々キットを組むスピードが衰えてきている気がします。集中力の問題でしょうか(^^;
 実車はすでに東横線での活躍を終え、5両編成を組んで大井町線に働き場を移していますが、模型の世界では長編成が楽しい8連で、しかも「桜木町行き」として組みました。
 幼少期から103系などの古い電車が好きという変わった子供だった私ですが、ちょうど生まれた時期がこの電車が最新鋭の電車として登場した時期と重なっており、当時から古い電車好きの私には珍しく、この電車は大好きな電車でした。幼いながらに平妻で通勤型4扉という103系の最終発展形のようなこの電車にシンパシーを感じていたのかもしれません。変な子供ですね(^^;
 そのため、この電車も末期のスカート付ではなく、スカートなしで行先も「急行 桜木町」であります。

 顔のアップで。何度見てもカッコいい電車です。
 GMから初めて製品化されたときは「ライトもつかない電車に4両¥13000なんてとても出せない・・・」と諦めた製品でしたが、ようやっと手元に置けるようになりました。実車の無味無臭の様相ながらも、随所に洗練性を見せるデザインをよく表現できており、お値段は多少張りますが、素直に買ってよかったと思える製品です。
 
 最後に、写真の中でチラチラ見えているお隣の東武20000系を紹介しておきます。こちらもブログでは取り上げていないので、後程紹介します。
 現実の世界では、東武20000系は中目黒から先の東急線内には乗り入れてこなかったので、このようにすれ違う光景は存在しませんでしたが、高架橋の上をすれ違う姿はなかなかいいものです。機会があれば、高架橋のあるレイアウトで走らせてみたいですね。

 それでは今回はこの辺で。次回は東武まみれになることでしょう(^^;



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2016'01.11.Mon
真岡というと自宅から1時間半ほどということもあり、我が家では「冬にいちごを食べに行くところ」という印象が強いのですが、ここ最近で蒸気機関車の数がずいぶんと増え、北関東では随一の鉄道ミュージアムになってきた感があります。
 今回はその真岡駅に隣接する「SLキューロク館」にD51が新たに加わり、整備が完了したということでお披露目イベントがあり、参加してまいりました。あれこれやっているうちにずいぶん経ってしまいました(^^;
 まずは新加入組以外の紹介を。


 貨車が多いところなので、少し省きながらご紹介。貨車は来歴がはっきりしない車も多く、不明な点が多々ありますがご容赦ください。
 写真中央は蒲原鉄道のワ12で、1930年に新潟鉄工で作られた車です。この当時にあらゆる地方私鉄に納入されていた標準車ですね。
 その左は1940年に日本車両で作られた一畑電鉄ト60です。1940年製造というには少し古風な外観なのですが、本当に1940年製造というのかすらもはっきりしないのが、貨車の面白いところであり、難しいところでもあります。
 さらに左は国鉄のヨ8016です。真岡に来てずいぶん経っていた車両で、整備がなされず荒れ放題だったのですが、かなり綺麗になっていました。

 この編成のしんがりを務めるのがワフ16です。この車も複雑な経歴を持っています。
 元国鉄の木造ワフを水島臨海鉄道で鋼体化したもので、案内板には製造は国鉄鷹取工場で1910年製と書かれていますが、上回りは1958年に新しく作られたものです。
 以上、ヨ8000を除いた3形式はいずれも地方鉄道で過ごしてきたということもあって、ここではなくてもっとふさわしい場所で保存してほしいという気もしますが、適切な管理のもとで保存されるというのは大変に喜ばしいことで、歓迎です。


 貨車はキューロク館の対岸にも留置されていますので簡単にご紹介します。戦後の標準型ヨ3500を二段リンク化して制限速度を引き上げたヨ5000です。真岡には2両いますが、表記類は読めなくなっています。ごらんのとおり、状態は悪いです。


 こちらも車掌車の一種ですが、荷物室も備えた緩急車です。全国に広汎に使われたワフ29500ですが、こちらは前掲のヨよりは状態はいいです。以前はもう1両いたのですが、こちらは行方不明。解体されたんでしょうかね。
 そのほかトラ70000が数両いますが、番号がはっきりしないため割愛します。


 キハ20は2両存在します。上が247番、下が213番です。この2両が実際に国鉄真岡線で走っていたかどうかは定かではありませんが、3セク転換前の真岡線の主力車両はまぎれもなくキハ20でした。個人的には蒸気機関車よりもこちらを動態保存していただきたいところですが、いすみ鉄道などの話を聞くに、現実は簡単ではないようですね。


 同様にDE10も2両存在します。上は1014号機、下は95号機です。どちらもDE10ですが、来歴はずいぶんと異なります。
 1014号機は客車の回送用に導入したDE10の部品取りとして大阪からやってきた車両でしたが、元をたどるとJR四国のアイランドエクスプレス牽引機という華々しい経歴の持ち主です。近年まで大阪貨物ターミナルでスイッチャーとして働いていました。
 95号機は国鉄時代に廃車になった機関車で、ずいぶん長いこと真岡に放置されたままになっています。DE10の0番台は早期に廃車されたものが多く貴重な生き残りなのですが、真岡での扱いは粗雑の一言に尽きます(^^;

 さて、施設の名称が「SLキューロク館」というくらいですから、9600型ももちろんいます。
 この49671も一癖ある機関車でして、通常運転席は左側にあるのが常識ですが、なんとこの車は右側に運転席がついているのです。これは、所属していた五稜郭機関区時代、働き場であった青函連絡船の航送貨物の積み込みを行う際に、構内が右カーブの連続であったために運転士の視界を確保する必要性から改造されたものです。
 面白いのが、この機関車は1976年に廃車となるのですが、末期に右側運転台のまま他区へと移っており、68年には北見、廃車寸前の75年には滝川(廃車前提の移動?)に転属しており、他車が左側に運転台があるにもかかわらず、この機関車だけは右側運転台のまま仕業に就いていたのです。おそらくは入れ替え専用機であったからであると思われますが、現場ではたいそう扱いづらい機関車であったことは想像に難くありません。
 そんな特殊な機関車が、実は「生きている」というのは、存外にすごいことなのかもしれません。

 この黒光りした動輪からもわかるように、この機関車は「生きて」います。石炭ではなく圧縮空気を利用してのもののため、牽引力は往時には到底及びませんが、それでも動いている蒸気機関車というのは迫力のあるものです。

 そんな9600の後ろには青い客車が。サボには「日本海」の表示がありましたが、これはスハフ44のためフェイクです。
 スハフ44という車両は、80年代の終わりまで長らく活躍したスハ43やスハフ42の北海道版で、道内では急行ニセコを中心に幅広く活躍していました。このスハフ44 25も北海道内で長く活躍した車両でしたが、青函連絡船が退役する際に羊蹄丸の中に取り込まれ、長らく船の科学館の収蔵品として保存されていた車両です。私も船の科学館で見た覚えがあります。
 その後、羊蹄丸が解体されることになり、中に保存されていたこの車は真岡鉄道に引き取られることになりました。
 現在では保存車兼休憩室となっているのですが、その内部がまた素晴らしい。


 羊蹄丸に取り込まれた際に何も改装をしなかったため、本当に国鉄そのままの状態で保存されています。あまりにそのままなので、普通に乗ってしまって大丈夫なのかといぶかしんだくらいです。
 どれだけの人がこの車内のコンディションに気づけるのかはわかりませんが、大切に引き継いでいってもらいたいものです。


 さて、いよいよ本命のD51です。といっても、この日は公開初日だったこともあり満足な写真は撮れず。申し訳程度に写真を載せて、プロフィールの紹介と行きます。
 真岡に来る以前は静岡県で保存されていたD51 146ですが、生涯を北海道で暮らした根っからの道産子です。1938年に追分に配置されてから、1976年に岩見沢で廃車になるまで、一貫して道内で活躍してきました。長万部に長く配置されていた機関車で、長万部は函館本線を中心に運用していましたから、49671とももしかしたら函館で顔を合わせていたかもしれません。
 状態はいたって良好で、今にも走り出しそうなほどによく整備されていました。ここの蒸気機関車はどれもペンキを塗りたくった無粋なやりかたはしておらず、さすがは実際に機関車を動かしている会社だな、と感じました。
    
 9600は圧縮空気での動態保存でしたが、いよいよこちらは本当に蒸気で動いている機関車です。
 真岡鉄道が蒸気機関車を多数持つきっかけとなったC12 66です。こちらはもうお馴染みですね。現役時代は中央本線の上諏訪機関区に長く在籍した機関車で、入れ替え用としての在籍だったようです。
 最近の検査で異常が見つかったようで、早く復帰してほしいですね。

 そして蒸気で動くもう1両は、こちらもお馴染みC11 325です。この日の主役でした。
 新製配置は茅ケ崎で、茅ケ崎区にSLの配置がなくなるまで相模線で活躍しました。その後米沢に移って入替と左沢線用に使われ廃車となります。左沢線のSLサヨナラ列車を牽引したのもこの機関車です。
 真岡鉄道の所属ではありますが、使い勝手がいいこともあって他所へ貸し出されることの多い機関車で、真岡鉄道を走っている姿というのは少し撮りづらいという変わった機関車です。

 最後は、4機の機関車すべての汽笛吹聴を行ってイベントは終了となりました。いやあ、うるさかったのなんの(笑) しかし蒸気機関車の迫力ある姿は、普段電車を追っかけている私からすれば非日常であり、楽しいイベントでありました。

 それでは今回はこの辺で。次回は模型になると思います。

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